怒る、泣く。しかしこんな時、こんな風に怒る、泣くという「態度」は時代によって微妙に変化し、それが逆にキャラクターの造形にも作用する。炭治郎の健気さ(よく知らんけど)を見るたび、兜甲児の破天荒を思い出すのである。もちろんどちらがいい悪いというのではない。時代による態度の変化である。
リアリティラインと言うと、なんとなく上から目線で「なってない」みたいな垂直方向に語られるのである。だけど本来人それぞれのリアリティというものが同じ範疇にあることが稀で、まったく交わらないことだって多い。この2つのリアリティを比べてもしょうがないし、それが面白い。
この「関西一のつっぱり」という概念の奇妙さは、実のところ「海道一の弓取り」とそう変わるところがないのではないか。そう考えるとどおくまんの持って生まれた鋭い洞察力、バランス感覚と、それゆえに車田正美になりそこねた感が際立ってくる。普通は四千年前の木刀や古代ギリシャは出てこない。
たとえば①の原点にも②があるだろう。秋本治などはそのままオマージュを捧げている。園田光慶の「アイアンマッスル」には、忘れられた巨大な影響力があったらしい。我々世代でいうと、たがみよしひさ、たなか亜希夫あたりだろうか。みんな影響を受けてマネしたけど本家は忘れられがちという。
何度も見返して心に刻んでおきたい素晴らしいビジュアル。馬と言わせるために鹿が出されるのであり、異を唱えた者にはそれなりの結果が待っている。そして次の鹿が繰り出される。何度も見返して心に刻んでおきたい。
「大長編ドラえもん」と「UTOPIA最後の世界大戦」を見比べるに、「のび太の宇宙小戦争」の悪賢いドラコルルって、UTOPIAにも似たような秘密警察長官が出てくるのな。主人公たちを一々捜索するより泳がせてハメるとか、かなりの頭脳派。多分藤子Fはこの手の「賢い悪役」が好きなんだろうと思う。