今気づいたのだが、ヴァイオリンをちゃんと弓と弦を直角に構えている。桑田次郎はものすごい勢いで描くのである。だから当然ヴァイオリンを細かく観察なんかしてなかろう。弓の持ち方でそれはわかる。しかし瞬時に弓と弦を直角に構えるというヴァイオリンの特徴、いわば本質は見抜いたのである。こうい
萩尾望都の凄さとして「描けないものを描いてしまう」というのを挙げておきたい。異国、異世界、SFはともかく、銃、飛行機、車、宇宙船など、描けないのに描く。ちゃんと飛行機が描けないのに飛行機をテーマに見事な傑作を描いてしまう。想像力で考証をねじ伏せる。こんな漫画家まずいないと思う。
たとえばこのような視点で「戦争に突入した日本人」というのを見る。しかしおそらく、このどこにも当時の我々の大多数はいないのだ。コロナ渦中のオリンピックがそうであるように。状況の中にあって思うことはあれど、自ずから口をつぐまざるを得ない。これを我が身に思い知らされるのが地味に沁みる。
こいつの出どころが、ボルテスのようでそうでないようなわからんかったのだが、多分頭部の印象と関節の処理から見てこっちかな。
「根性」も「絆」も自己犠牲を強いるのである。それが空想的な「勝利」に向くか、あるいは同じくらい空想的な「連帯感」に向くかの違いでしかないと思っている。根性を徹底的に葬り去った我々が、いつか絆を血祭りに上げないわけはなく、その結末と、その次さらに何が持ち出されるかが恐ろしい。