物語の主人公は大抵動物に好かれる、動物と心を通い合わせることができる。これは「動物が可愛い」ということ以外にも、ある種の無意識の象徴ではなかろうか。自我に潜む獣性と知性を融和させたいという不変の欲求が人間にはあって、逆に動物が、その欲求を仮託されているとすら思えるのである。
ふくしま政美「玉男」の何がすごいって、マンガとして成立してないのよ。いや、みなまで言うな。わかる。ふくしま政美は全部そうだ。しかしこんな連載第一回の1ページ目から「これどうすんだろう」とアゴがはずれるマンガは他にない。パチンコってそういうもんじゃないだろう。オレでもわかるぞ。
寺沢武一のアシスタントとかになると、この流麗な絵の中に、パースのかかった地面の線をさらさらっと描かなきゃいけないんだろうな…これ込み入った背景よりよっぽどイヤだな…緊張で手が震えそう。
この格調高い、敬意と愛情のこもった絵はどうだろう。原典には「筑紫になにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが」という、田舎者への若干の揶揄しかない。庶民の生活を徹底的に取材するバロン吉元は、質実剛健、職務に熱心な押領使を素敵にカッコよく描いているのである。
これが歴史に刻まれたのは
「なんでや」
という日本中のチビッコ1000万人のツッコミを誘発したからである。じゃあおまえ何でそこにおんねん。