【昭和28年6月】
銀行を辞めた横山は、毎日のように近くの貸本屋から大量の本を借りて来ては読みふけり、夜は漫画をせっせと描き続けた。この頃、雑誌に掲載された作品には「ある夜の出来事」や「タロ吉迷探偵」、「斑の笛吹き」などがある。
#横山光輝の青春
広報の仕事ではなくお金の計算をする仕事ばかりで、いつも帰りが遅かったため。おまけに上司とソリが合わず、会社をさぼって友だちと須磨の公園でスケッチをしたりしていたそうです。そうして4、5日無断欠勤をしていると銀行から家に連絡が入り、ようやく母も気が付きました。
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横山にまず課せられた仕事は、会社や商店等への集金業務だった。そして集金したお金を支店に持ち帰った後は集計もしなければならず、残業の日々が続いた。
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嶋田や煎塚と一緒に須磨海岸へ遊びに行った時に、「銀行でも受けてみるわ」と胸の内を明かし、友人たちの「漫画はどうする?」という問いかけに「あれは趣味や」と答えていた。
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昭和27年、高校3年生の時に、美少女型ロボットが出てくるSF探偵物を描いていますが、これなんかは「メトロポリス」の影響をすごく感じますね。名前もミッチィとミチルで似ているし。(^^)
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ちなみに、この高校時代に描いて雑誌に掲載された「すすめジョン君」や「頭のジョン君」の「ジョン」というのは、嶋田のニックネーム「おジョン」から来ている。
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【昭和26年】(友人・嶋田、煎塚さんの話)
高校2年生になると、自分たちは横山のために水泳の練習を早めに切り上げて、横山宅へ集まるようになった。
それらの努力の甲斐があってか、以後は「探偵王」などに漫画が掲載されるようになった。
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4ページの短編だったが、横山にとって自らの漫画が出版社に採用されるのは初めてのことであり、かなり興奮していた。
そして、これを契機に横山の制作ペースは加速し、手伝いの方も一段と忙しくなっていった。
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また、学校新聞への4コマ漫画の掲載はもちろん、各種パンフレット、印刷物へのカット依頼にも快く応じ、校内には「漫画の横山」という名が広まっていった。
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部屋の机の前に座って1ページずつ本をめくるそばから横山が「主人公のミッチィは太陽の大黒点の影響で生まれた世界一美しい人造人間なんや」「自分の体のボタンを押すだけで男にも女にもなる」「この鼻の大きい男はミッチィを狙う秘密組織の親分や」と先々説明するので、
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