ラブアンドサンダー元ネタ場面番外編
信者を生贄に捧げさせたりする数を競う神コンテスト、映画ではゼウスの台詞でサラッと流されたけどコミックではガッツリやります。細かいネタの拾い方だった
人との交流を避けようとするクレメンタインだが、望む望まないに関わらず人との出会いは向こうからやってくる。
人を疑う事を知らないアーミッシュの少年アモス、皮肉屋で変わり者の少女リッカ、名前の無い双子の姉妹「右」と「左」。五人はある目的で集まり、雪山で共同生活を始める事になるが……
人が集まり、一時の楽しい時間の後で、やがてグループが崩壊するのがウォーキングデッドのいつものパターン。しかし僅かに得た信頼し得る仲間に抱えていた胸の内を明かし、凍り付いた心が溶けていく描写は、流石ティリー・ウォルデンの作品という感じだった。2巻も楽しみです
ビリーのこの辺の描写、軌道を示す線しか描いてないのに、西部劇のガンマンよろしくビーダマンを指でクルクル回してホルスターに納める所が「見える」から凄いよな
スーパービーダマン、リアルタイムで読んだ時も終盤の印象薄かったけど、今こうやって読み返してみると、多分打ち切りだったんだなァ……という事が分かった
ラスボスが「〜だな」というライノックスみたいな語尾のクソガキというのは少々あんまりな展開
スーパービーダマン読んでて唸ったのは札月兄弟の初登場エピソード。公園を西部劇の酒場に見立ててわざわざウェスタン扉。ロングコート着た小学生が乗り込んで来る。書いてある事全てがおかしいが、しかし作者は大人なのだから、おかしい事を当然承知で真面目な話を描いているのだ。ここが凄いよね
ビーダマンもそうだし、この手のホビー系少年漫画に大概共通してるんだけど、外の世界ではスケールがやたらデカく大人顔負けの闘争を繰り広げてるのに、家を訪ねたら「はーい」とお母さんが出てくるんですよね。ここだけは「一人暮らし」とか嘘をつかない、小学生読者と日常感覚を共有する絶妙な塩梅だ