スコープ・弾倉付きロングバレルの人とスリングショットの人と重機関銃固定砲座の人は、ビーダマンである必要がないというか、もはや核となる発射機構がビーダマンである事が制限になっているよね
(ビーダマンの大会なんだから当たり前なんだけど)
899号ではトゥームストーンと死闘を繰り広げるスパイダーマンが表紙に描かれるので、拳と拳で対決するのかと思いきや、ピーターの機転を利かした策略で殴り合いは発生しないまま手打ちとなる。一時が万事この調子なので、意図的に「表紙詐欺」を楽しんでいると感じる
いわゆる内容と無関係なイメージイラスト扉絵。大好きなのが片山まさゆきの麻雀漫画「満潮!ツモクラテス」。主人公の青年(右)と同世代のライバル二人が海遊びしているが、本篇と無関係。本篇で描かれない日常の一コマ…でもない。彼らはクソみたいに仲悪いし、最後の決戦前に交わす会話がコレなので
作者を殺して「これでスーパーマンの死と同じくらいこのマンガも売れるわねッ」とか言うのがシーハルク
名前問題は二人で話し合ったので…
「アストニッシング・キャプテンアメリカにしたら?」
「今この話するのか……君はアンキャニー・キャプテンアメリカがいいよ。ピッタリだと思う」
「あんたがアンキャニーでもいいぞ」
「ていうか別に二人ともキャプテンアメリカで良くないか」
「じゃあそれで」
パッツィーが主役のコミック(1枚目)と、シーハルクが主役のコミック(2枚目)、同じキャラクターが話してる場面なのに印象が全く違うのが、
主人公の世界観(世界の見え方)を端的に表している感じがしていいんですよね。シェアユニバースの魅力はこういう所