昭和55(1980)年の昭文社の九州全図付録の #鉄道路線図。筑肥・唐津線の山本駅が◎?と思ったら、急行停車駅か。眺めると佐賀線にも急行が。1976年の時刻表にはさまざまな発着駅の急行が。佐賀線は熊本ー長崎間の「ちくご」。日田彦山線には直方―由布院の「日田」、江津ー天ケ瀬の「あきよし」など…
幹線国道が一方通行路という例はいくつかある。
国道2号の姫路は、子どもの頃に市街図を見て、へーって思ったが、加古川もそうだということを最近知った。姫路はかなり広い道を一方通行にしているが加古川は2車線道路。バイパスができた現在も国道2号の現道。
山形市・会津若松市・福山市・柳川市の明治中期の地形図を見ると、城の周りの一等地が農地や軍用地になっている。明治維新で荒廃した武家屋敷のあと(オレンジ着色)がまだ十分活用されずにいる。山形や柳川は市街地が細長く痩せて痛々しく見える。地理院地図を見てみれば、都市規模に応じた現在がある
地理院地図における、城郭の天守閣。オリジナルや木造復元のものは、更新前の犬山城以外きちんと普通建物だ。いくら大きな姫路城であっても。
一方で鉄筋コンクリート造で外見のみ”復元”再建されている大阪城や名古屋城は「堅ろう建物」で描かれている。 https://t.co/aibrCb8J75
1964(昭和39)年1月発行の日地の東京区分地図の新宿区。新宿駅の両側の住所は角筈。以前は淀橋町→淀橋区域だった。伊勢丹あたりから東の当時の新宿は大正まで内藤新宿町→四谷区域。都電が縦横に走りトロリーバスも通っていた。西新宿は淀橋浄水場にガスタンク。副都心構想が動き始め、直後から大変貌
奥只見ダムには「スロープカー」なる乗り物があるのだが、地理院地図には記載がない(紫で描込み)。法律上はエレベータ扱いで鉄道や軌道ではないのだが、地理院地図での扱いはまちまちで、北九州皿倉山や英彦山のスロープカーは索道として描かれている。エレベータと言えば四方津のものは…(続)
北陸自動車道の米原本線料金所は不正通行防止目的に昭和55(1980)年4月7日の開通と同時に設置され、平成19(2007)年6月1日に廃止された。
地形図にも明記され(当然)、ミリオン道路地図では「検札所」「料金所」などと表記。在りし日と現況を、空中写真とヤフー地図航空写真でも示す。
姫路市についても、文化年間の城下町絵図と明治後期の地形図、現在の地理院地図で比較してみた。町人町を挟んでお城寄りの武家地は明治期には陸軍施設で占められている。一方、街の外郭には武家屋敷群がそのまま残っているように見えるが、戦災で壊滅。残念。軍都にあった姫路城の無事は奇跡だなぁ…