ウクライナ報道の地図を見ていて…。
TVでは縮尺(スケール)を表示する例がまだほとんどないみたい。新聞系はスケールを入れるようになってきつつある。ネット上の地図をざっと見た限りだが、毎日、中日、時事は優秀。日経、朝日はスケールなし。読売は統一されず、入っているスケールが間違っている。
関屋分水の予定経路が描かれた昭和46(1971)年7月の塔文社の新潟市街図。病院2つと幼稚園が移転させられたのか。今はなき「競馬町」の町名も。平島の黒埼側の鮫面という地名は初めて知ったが、現在は寺地の一部。字としても残っていないよう。北区嘉山に同じ鮫面という字がある。現在の地図はマピオン
神戸市北区、箕谷近くの古い地形図に「餓鬼ノ嗌(のど)」という怖い地名。時を追うと、青葉台のニュータウン造成とともに注記が消えてしまう。山田川を渡る青葉台への入口の橋の下付近が”餓鬼ノ嗌”かな。渓が狭くなった部分についた地名か。餓鬼に吞み込まれてしまいそうな流れなのだろうか。
約100年前の、こんな地図を思い出しました。
#主要都市図 1925(大正14)年 冨山房 最新日本詳図 https://t.co/4EjmBwgDLd
地理院地図における、城郭の天守閣。オリジナルや木造復元のものは、更新前の犬山城以外きちんと普通建物だ。いくら大きな姫路城であっても。
一方で鉄筋コンクリート造で外見のみ”復元”再建されている大阪城や名古屋城は「堅ろう建物」で描かれている。 https://t.co/aibrCb8J75
昭和30(1955)年頃の新潟。塩の橋がある。県庁は日軽金。文鳥屋野予定地は現在のゴルフ練習場あたりだが…競馬場に競馬町。硫酸会社。盲学校に工業高校。八千代橋はなく、古信濃川に貨物線。気象台。65年前です。富士波出版の郡市別地図。 https://t.co/tiAEakv6fR
1964(昭和39)年1月発行の日地の東京区分地図の新宿区。新宿駅の両側の住所は角筈。以前は淀橋町→淀橋区域だった。伊勢丹あたりから東の当時の新宿は大正まで内藤新宿町→四谷区域。都電が縦横に走りトロリーバスも通っていた。西新宿は淀橋浄水場にガスタンク。副都心構想が動き始め、直後から大変貌
8月18日は「米の日」
沖縄では、米の字を使う地名は久米島の他は少ない一方、「ヨナ」が入った地名は多い。与那原、与那嶺、与那城、与那覇、与那国など。ヨナは米ではなく砂のことらしいが、ヤマトに渡って、米が砂粒のようだからヨナ→ヨネ→イネ、という説もあるらしい。
https://t.co/KDVERQQ3Hy