(続) 新潟−新発田間の国道7号の旧旧道。とくに現在北区内の区間は当時から頼りなげな道だが、現在辿れるか、今昔マップを参考にしながら地理院地図で追ってみた(薄紫に着色)。一部は消滅しているようだが、グーグルのストビューで追える部分も多い。寂しい農道と化している区間もあり、今度訪れたい
豊田市の明治からの変遷。中心部は1891年は拳母村。樹木(じゅもく)、寺部などと規模はそう変わらない村落だが挙母は都市的で、樹木は当時から拳母村の一部。樹木の主要部は現在常盤町となっているが、古い村落は街路や家屋の密度の違いによって現在の地図上でも区別できる。
#大河津分水路 は正式には昭和40(1965)年まで #新信濃川、その後 #信濃川 #信濃川放水路 を経て昭和47(1972)年に大河津分水路となったが、地形図等では昭和40年代まで新信濃川、昭和50年代から大河津分水路で、途中経過の名称の記載例はないよう。道路地図は2000年近くまで新信濃川のものもありました https://t.co/NrAzpDXb5I
たしかに田沢湖は古く辰子潟とよばれ、田子(たっこ)と同じアイヌ語のタプコプが語源という説が有力のようですね。江戸時代の古地図を当たってみると、八郎潟という表記が多く(男鹿半島のほうは大方八郎潟とも)、田澤潟とともにタツコ潟の表記も見られました。 https://t.co/0aMfQOLMQi
6月10日は「時の記念日」
「時計」のついたバス停は札幌の時計台関係のほか、長岡ニュータウンの「時計台公園前」があった。長岡ニュータウン…。計画人口5万人以上は絵に描いた餅で現実は10分の1以下。一部は越後丘陵公園になり、子供が小さい頃はよく遊びに行ったが時計台公園は気がつかなかった…
鰻の日といえば土用の丑の日。なんと今夏は2日あり、7月23日と8月4日。さらに1月24日はすでに過ぎたが、4月18日・30日、10月27日とあわせて土用の丑の日は6回もあるのだ。
平成の種子島の地形図に”うなぎ養殖場”。日本一美味しい養殖ウナギという話だったが、地理院地図からは消失。どうなったのかな