なるほど、新潟市街地は、液状化での #地盤沈下 ですね。
戦前と地震後の地形図での直接比較は不適切かもしれませんし、地震以外の要素での地盤沈下もあると思いますが、萬代橋西詰や団九郎の水準点はメートル単位での差(沈下)がありますね。#今昔マップ https://t.co/6H1TWFYwvC
オホーツク海の古称、明治期には「オコツク海」という表記もけっこうみられます。明治前期に「疴哥徳斯利海」という表記の地図がありましたが、オコトスク(オホーツク)をオコトスリと見間違えて当てた漢字のようです(https://t.co/F9yGkBSxIP)。いずれにしろ、オホーツクが由来ですね… https://t.co/MwXUWKxNOA
昭和39(1964)年1月16日、常総筑波鉄道鬼怒川線が廃止された。
1932年の5万分1地形図を下敷きにした米軍地図に在りし日のルートを見る。地理院地図と比べると、西半分くらいは廃線跡が追えそう。ストビューで三所駅付近から西望と畔と化した路盤跡。
ブラタモリのスカイツリー。地理院地図では巨大で斜め配置の”高塔”記号が描かれている。”高塔”は事物を表す記号なのに大きさや向きが可変という例外的で特異な地図記号。地形図時代はふつうの地図記号だったが、1万分1地形図記号を一部流用して”おかしく”なった。「電波塔」記号との確執😅も…?(続) https://t.co/kuUZ5wpAgO
北海道。後志と噴火湾沿いの9つの街々を白黒地図で再び比較。同縮尺で同じ面積を切り取ってある。岩内・倶知安・余市・寿都・黒松内・ニセコ(狩太)・長万部・八雲・森町。戦前の町割は岩内が大きく、寿都は小さいながらも都市の風格。余市は複眼都市。黒松内は衰退、寿都は骨格が残るもスカスカに?
兵庫県の餘部村と余部村。揖保郡余部村は戦前から #余部 で本来“あまる”の意味がない「余」をアマルと読んでいた。飾磨郡余部村は陸測地形図でアマルべのルビだがヨベの誤記かな。駅はヨベ駅。揖保郡余部村は姫路市と合併してヨベ区に。城崎郡のは戦後開業の駅名が新字体ではなく旧字体。なんか複雑… https://t.co/mn3FTRbzUv
尼崎市の芋の近くには「尼宝自動車専用道路」があった。鉄道を計画して路盤までできてから中止になった未成線。関西の私鉄の建設ブームの荒波に揉まれて敢えなく露と消えた鉄道計画。現在は兵庫県道。