中国では湖沼につく地名接尾辞はきわめて多彩。一般的な「湖」は同じだが、「海」「漾」「蕩」「池」「潭」「湘」「灘」「淀」「河」「港」「江」「埠」「泡」「泡子」「錯」や、人造湖では「水庫」「埤」「塘」「圩」など。一方、探した限りでは「沼」「潟」「浦」「堰」「堤」は見つからなかった。
尼崎市の芋の近くには「尼宝自動車専用道路」があった。鉄道を計画して路盤までできてから中止になった未成線。関西の私鉄の建設ブームの荒波に揉まれて敢えなく露と消えた鉄道計画。現在は兵庫県道。
あす8月25日は大河津分水通水100周年。分水路の水面標高を見るとビックリ。河口から1㎞まで10m近くで保たれ、最後に急流怒涛となり海へ。改修工事の第二底固は遷急点の遡上防止の重要な工事というわけか。過去ツイートを→
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暴風雨や時化の時に、航行中の小型船舶が非難するための #避難港。全国で36か所が指定されている。そのすべてを地理院地図で示した。各港とも、2048×2048で統一。港の規模はさまざまだけど、外洋から逃げ込みやすい岬などが多い。瀬戸内海などの内海にはない。 https://t.co/dMIZLgEgKi
姫路市についても、文化年間の城下町絵図と明治後期の地形図、現在の地理院地図で比較してみた。町人町を挟んでお城寄りの武家地は明治期には陸軍施設で占められている。一方、街の外郭には武家屋敷群がそのまま残っているように見えるが、戦災で壊滅。残念。軍都にあった姫路城の無事は奇跡だなぁ…
新潟市西区の「小針銀座」にはまってしまい、持っている住宅地図でその過去に見入ってしまった。36年前には小針十字路(紫マーク)にスーパー・商店・書店・銀行が集積、新興住宅地の中心街だったが、より郊外に大型商業施設もできて小針銀座の商業は衰退し、銀行と塾が目立つだけとなった。
山形市・会津若松市・福山市・柳川市の明治中期の地形図を見ると、城の周りの一等地が農地や軍用地になっている。明治維新で荒廃した武家屋敷のあと(オレンジ着色)がまだ十分活用されずにいる。山形や柳川は市街地が細長く痩せて痛々しく見える。地理院地図を見てみれば、都市規模に応じた現在がある