(続) 新潟−新発田間の国道7号の旧旧道。とくに現在北区内の区間は当時から頼りなげな道だが、現在辿れるか、今昔マップを参考にしながら地理院地図で追ってみた(薄紫に着色)。一部は消滅しているようだが、グーグルのストビューで追える部分も多い。寂しい農道と化している区間もあり、今度訪れたい
#大河津分水路 は正式には昭和40(1965)年まで #新信濃川、その後 #信濃川 #信濃川放水路 を経て昭和47(1972)年に大河津分水路となったが、地形図等では昭和40年代まで新信濃川、昭和50年代から大河津分水路で、途中経過の名称の記載例はないよう。道路地図は2000年近くまで新信濃川のものもありました https://t.co/NrAzpDXb5I
昭和39(1964)年1月16日、常総筑波鉄道鬼怒川線が廃止された。
1932年の5万分1地形図を下敷きにした米軍地図に在りし日のルートを見る。地理院地図と比べると、西半分くらいは廃線跡が追えそう。ストビューで三所駅付近から西望と畔と化した路盤跡。
豊田市の明治からの変遷。中心部は1891年は拳母村。樹木(じゅもく)、寺部などと規模はそう変わらない村落だが挙母は都市的で、樹木は当時から拳母村の一部。樹木の主要部は現在常盤町となっているが、古い村落は街路や家屋の密度の違いによって現在の地図上でも区別できる。
北陸自動車道の米原本線料金所は不正通行防止目的に昭和55(1980)年4月7日の開通と同時に設置され、平成19(2007)年6月1日に廃止された。
地形図にも明記され(当然)、ミリオン道路地図では「検札所」「料金所」などと表記。在りし日と現況を、空中写真とヤフー地図航空写真でも示す。
#慶應義塾 のある日吉。横浜市のHP(https://t.co/pcyRXqKPm9)で終戦前後の大縮尺(三千分一)地形図が見れる。西側の日吉台図幅は昭和22年製版だが、#藤原工業大学 が存在し戦災やGHQ接収の様子もなく戦中の作成か。多角形放射状街路の日吉駅前の建物はまばらに見えるが…。地理院地図の地形分類図も。
6月10日は「時の記念日」
「時計」のついたバス停は札幌の時計台関係のほか、長岡ニュータウンの「時計台公園前」があった。長岡ニュータウン…。計画人口5万人以上は絵に描いた餅で現実は10分の1以下。一部は越後丘陵公園になり、子供が小さい頃はよく遊びに行ったが時計台公園は気がつかなかった…