姪の面倒を1人で見ることになったのでプリキュア映画でもかけてあげようかと思って調べてるけど、何度見てもタイトルと順番がサッパリわからない。
『マーベル映画ってどの順番で見ればいいんですかぁ?』みたいなアホな質問を鼻で笑ってきたけど、こういう感覚なんだろうな。
GIFを編集してて思ったけど、カットが割られるまでも無駄に長い。見てた心境はこんなかんじ。
コクリコ坂は制作ドキュメンタリーで「Aパートのコンテがちんたらしてたので単純に尺を早送りにした」と鈴木Pが仰ってたけど、これで「早送り」なんだろうか・・・・・
まあそんなネット社会の時代だからこそ、アドラーの思想が価値を帯びるという側面もある。しかしやっぱり全対応出来るような万能思想ではなく、古びた面もあると感じるものだった。
やはり天津飯アプローチが有効だろう。参考出来るところはして、出来ないところは分けて考えよう
やっぱり鵜呑みには出来んなぁ「嫌われる勇気」
参考に出来るとことはして出来ないところはしない。それを自分で考える。それが読書ってもんだしね。
私はこれを「天津飯アプローチ」と呼んでいる(ウソ)
んー、でもそうするとアドラーのいう境地ってつまんないと思うところはあるかなぁ。清濁入り混じったのが人間だ、というのが漫画版ナウシカの帰結だし。
まああそこまで割り切られるのは宮崎さんくらいの人間力あってのことだろうけど。
この病気が厄介なのは「特効薬がないこと」「対処法がないこと」
不治の病として世界疾病ナンタラに登録されていいと思う。
この作品も「魔女」という括りでリサーチすると引っかからないタイプだと思うが作品自体は非常に「奥さまは魔女」テイスト
直接的なオマージュも。何かと秘密を覗こうとして「あーたあーた!」と旦那に報告しては信じて貰えない隣の家の東村山さんは、奥魔女の「グラディスさん」の明らかなオマージュ
「よばれてとびでてアクビちゃん」も、ハクション大魔王を東映魔女っ子ものの文脈で作り直したような作品。当時の掲示板にもそういう反応がいくつかあった模様。
アクビは「壺の魔人」だけど、魔法を使う女ということで「魔女」と言うことも出来る。
漫画版では「魔人」でなく「魔法使い」と言われてる
この冷笑的な視点が傑作大長編「魔界大冒険」を生み出した。
「高度に発達した科学は魔法とかわらない」という思想をいち早く漫画に取り入れ、もしもボックスで科学と魔法が反転した世界を作り出した世界を作り上げた。
魔界大冒険の導入部では出来杉が黒魔術の歴史を解説する有名な一幕がある。
藤子F先生はたぶん連載作品で魔法少女ものを描かれていない。逆に「スーパーヒーロー(スーパーマン)」に関しては、あらゆる作品で何度も直接的にオマージュしている。
魔美も、設定的には魔女であるが、活動的には「スーパーヒーロー」に非常に近い。自分の生活圏外の事件やトラブルに応対するのが主。