最後に「ドラえもんのテンポ感」について。
これも一定のパターンがあります。
まず「前の場面のやり取りと地続き的な形でそのまま場面転換する」
これは最も見られる表現じゃないでしょうか。
真面目に写生していた視点から、らくがきをするのび太と、それを見つけて会話するパパの視点に。
わざとドラえもんが放置されたドラえもんが同じコマ内に描かれていることが滑稽さを助長する。
のび太の視点から始まり、退室するのび太にカメラが着いて行かず、ドラえもんの側に残ることで、のび太を滑稽に見せている視点の移行。
これもジャイアンの視点からカメラが引いて、ドラえもん達のふざけた様子が映り、真面目に歌うジャイアンが滑稽化される視点の移行。
「視点の客観化」カテゴリーの締めとして、【視点の移行】を挙げたい。
これまで挙げたカテゴリーと被っている気もするけど、私的には「視点が移行したことによる滑稽化」に分類したい。
特にこれは「他人事」という程でもないし「評価」というほどでもない。ただ視点が移行(カメラが引いた)だけ。
【他人の評価】
おかしい事象を評価者が冷静に批評する構図で物事を滑稽化する手法も見られる。
最も有名なのは「いや、そのりくつはおかしい。」
「他人事」に似た要素を持っているが、あくまで無関係的なスタンスだった「他人事」と比べて、こちらは関わりの度合いが強いので別にした。
ドラえもんが客観化させるばかりではない。こういった「他人事」のケースもある。
グンニャリジャイアンはオチも前述の「追い回される者達を無関係の人間が眺めるオチ」
この話も「熱弁をふるうのび太から完全に他人事な態度のドラえもんへの移行」の導入。この冷徹な視点の切り替えこそドラえもんの笑いの極意。