これもジャイアンの視点からカメラが引いて、ドラえもん達のふざけた様子が映り、真面目に歌うジャイアンが滑稽化される視点の移行。
のび太の視点から始まり、退室するのび太にカメラが着いて行かず、ドラえもんの側に残ることで、のび太を滑稽に見せている視点の移行。
真面目に写生していた視点から、らくがきをするのび太と、それを見つけて会話するパパの視点に。
わざとドラえもんが放置されたドラえもんが同じコマ内に描かれていることが滑稽さを助長する。
最後に「ドラえもんのテンポ感」について。
これも一定のパターンがあります。
まず「前の場面のやり取りと地続き的な形でそのまま場面転換する」
これは最も見られる表現じゃないでしょうか。
「すれ違い」を生み出す方法として『人物の考えを言語化する』
西洋の古典喜劇でも舞台の演者がわざと思考を口にしていたそうです。
漫画の場合は【傍白不一致】という形式が多い。傍白でわざとキャラの心情を読者に見せて、それが見えてないキャラとすれ違わせる手法(大家さんは思春期より)
この場面も原理的には「キャラの心理を読者だけに伝えてすれ違わせる」なので原理的には傍白不一致と同じです。「事前密談」とでも名付けてもいいかもしれません。
ちなみに「傍白筒抜け」という手法もあります。本当は見えてないはずの相手の思考が筒抜けになっているというズレの滑稽さですかね。
「かめはめ波」は、手を描き慣れてない人が描くとかなり迫力がなくなる。鳥山先生は格闘描写に説得力を持たせるために手の芝居がとても細かくて、色んな「武術っぽい手」をさせてる(実は空中戦と大技メインになる後期ほど構えや格闘描写が雑になっていく)
少年漫画で男が空を飛ぶとこうなる。こういう品のない飛び方は「違う」のだ。
空を飛ぶならふわっ飛んで「わぁ…」と目を輝かせて飛んでほしい。
ド カ ン と飛んで「なめやがって!!!!ゆるさんぞおーーーーーーーっ!!!!」では断じて、ない。
※ドラゴンボールも好きです