情報待機には「スルー」という形式があって、こののび犬の例もスルーに入ると思います。
最近(ってほどでもないけど)の作品を例に挙げましょう。佐渡川準先生の「無敵看板娘」と音井れこ丸先生の「若林くんが寝かせてくれない」から。
最近では「スルー」のコマの背景を黒くするのが定番のようですね。
いつもは「のび太さんは意気地なしじゃないわ」とか庇ってくれるのに
「弱虫よ!!」と本気で怒るのがほんとにジーンとくる…。
もしかしたら庇いつつも心の底で思ってたことが堰を切ったように表出したのかもしれない。
たったこれだけの台詞に様々なバックボーンを感じさせるF先生の言葉選びの凄さよ。
この作品も以前書いた「スターウォーズEP1」と同じで、当時コロコロコミックに掲載された「漫画版」が初めての出会いだった。コレがキッカケで翌年からゾイドを描かれたらしい。
98年なのでEP1より前の「ハリウッド映画コミカライズ」か。単行本はプレミアだとか。
色んなトコロが徐々に壊れていき、何処が最期まで遺るのかが楽しみになりつつある。
これを「フリーザの愉悦」と名付けたい。
更に、「合わなかった作品」だからといって作品との関係を疎かにするのは私としては愚行。合わなかった作品には無難に面白かった作品以上に熱い感想を誘発させる側面すらある。
合おうが合わなかろうが、その理由を明文化するのが作品・作家に対する敬意であると私は考えている。
セラムンS第26話まで観賞。
ぼんやりとしたイメージだったけど、やはりほたるの「病弱だが邪悪な強い力を持つ薄幸美少女」というイメージはローゼンメイデンのめぐと被る。
自らの命の弱さを他者のエネルギーによって補填しようとする、という構図も被る。
この冷笑的な視点が傑作大長編「魔界大冒険」を生み出した。
「高度に発達した科学は魔法とかわらない」という思想をいち早く漫画に取り入れ、もしもボックスで科学と魔法が反転した世界を作り出した世界を作り上げた。
魔界大冒険の導入部では出来杉が黒魔術の歴史を解説する有名な一幕がある。
藤子F先生はたぶん連載作品で魔法少女ものを描かれていない。逆に「スーパーヒーロー(スーパーマン)」に関しては、あらゆる作品で何度も直接的にオマージュしている。
魔美も、設定的には魔女であるが、活動的には「スーパーヒーロー」に非常に近い。自分の生活圏外の事件やトラブルに応対するのが主。