最近の作品での使われ方はこんな感じ。画像はさんりようこ先生の「B型H系」
主人公のモテ女子が惚れてしまった鈍感な地味男子と付き合うためにあの手この手を駆使して誘惑するというお話。
B型H系はコメディ漫画の手法がふんだんに駆使されてます。
【時間飛ばし(省略)】
本来地続きにあるはずの描写を省いて、あえて空白を作る手法。不一致解決の要素がある?説明が難しいのだけれど、コメディ作品ではよく見る手法です。
「すれ違い」を生み出す方法として『人物の考えを言語化する』
西洋の古典喜劇でも舞台の演者がわざと思考を口にしていたそうです。
漫画の場合は【傍白不一致】という形式が多い。傍白でわざとキャラの心情を読者に見せて、それが見えてないキャラとすれ違わせる手法(大家さんは思春期より)
「オタクあるある」はやっぱりガチオタにしか描けない。例えば初期の「げんしけん」なんかはこの「オタク度による知識の差」というコミュニケーションの表現が物凄く上手い。
ああいう要素が必要だったと思います。
アジトに居る間の金田って不自然なくらいとにかく飯をかっ込んでばかりなんですよね。ケイに「なァにあんたまた食べてるの」って突っ込まれるほど。
それはもう寡黙と言ってもいいくらい黙って食べることしかしていない。
「六等星」では、院長選挙の話から始まり選挙での不正が露呈して椎茸先生に白羽の矢が立つ。
「2人のローマ教皇」では、教皇選挙から始まり教会の不正が露呈しホルヘに白羽の矢が立つ。
物語の構造の共通というのはこういうことをいう。全く無関係の作品、題材でも構造が酷似することがある。
ちなみに水銀燈のイメージは世間的にはバーズ版初期の頃のものなんでしょうけど、YJ版ではすっかり「ベジータ」なキャラになってます。
私はYJ版のほうが圧倒的に好きです。特に中盤辺りからの役回りがいい。
それだけに真紅にちゃんとグーパンのお返ししてほしかったけども。
このパターンを使うといくらでも話が作れるので、この手の作品の主人公はちょっとにわか気質が性格として付与されることが多い。のび太は特に色んなことに熱しやすく飽きやすい。星のカービィの漫画版「デデデでプププな物語」も、元々ドラえもんパロが多いけど特にこの形式の話が多かった記憶
「かめはめ波」は、手を描き慣れてない人が描くとかなり迫力がなくなる。鳥山先生は格闘描写に説得力を持たせるために手の芝居がとても細かくて、色んな「武術っぽい手」をさせてる(実は空中戦と大技メインになる後期ほど構えや格闘描写が雑になっていく)
ちなみに「傍白筒抜け」という手法もあります。本当は見えてないはずの相手の思考が筒抜けになっているというズレの滑稽さですかね。
【頓降法】
レトリック用語。段々と盛り上がってきたものが、急に落ちるように展開するさま。この場合、のび太の必死の抗議を完全に無視してドラえもんが梯子を外している。
段々語調が下がっていくものは漸降法と呼び、これも一緒に扱っておく。