「ハンターハンター」の王位継承戦で、王子から同時に電話がかかってきて誰の電話に出るべきか?と悩む下りがある。
大統領の陰謀でも、同時に重要人物から電話がかかってきて苦戦する場面がある。ハンタのああいう知能戦のアイデアはこういう映画を基にしている気がする。
最近セラムンの原作漫画を読んでるんだけど
「タキシード・ラ・スモーキングボンバー」という素晴らしい必殺技を知った。
なぜアニメ版に出さなかった・・・・・。
でもこの頃から既に自分に合った逆バコの仕方はイメージしてるらしい。
結局こうなったわけで。
https://t.co/mi1LnrvrIH
一見デタラメに見える内容だけど、ことスケボーの運動動作とメイド服の描き込みに関しては作者さんの長年の観察の賜物だと分かるところが良い(重心移動の表現がとても説得力がある)
豊富なイマジネーションで描かれたものも良いけど、こういう狭い部分を一点突破してるモノもまた味わい深い
誤解のないよう補足しておくが『バック・トゥ・ザ・フューチャーが面白いという風潮にウンザリ』ではない
『いつまでこういう風潮なんだというウンザリ感』である
作品(バック・トゥ・ザ・フューチャー)に罪はない
『いつまでこうなんだ』ということに対しての苛立ちがメインです
姪の面倒を1人で見ることになったのでプリキュア映画でもかけてあげようかと思って調べてるけど、何度見てもタイトルと順番がサッパリわからない。
『マーベル映画ってどの順番で見ればいいんですかぁ?』みたいなアホな質問を鼻で笑ってきたけど、こういう感覚なんだろうな。
ここでは「切迫した状況」「それに負けず必死に行動するしずか」という感情が増幅されればされるほど、観客の心の中で「しずかの行動の尊さ」が浮き彫りになるはずである。
原作もそうだ。しずかの必死の形相が最小限のコマで描かれている。
手を握って微笑む暇などない。安心するにはまだ早い。
真面目に写生していた視点から、らくがきをするのび太と、それを見つけて会話するパパの視点に。
わざとドラえもんが放置されたドラえもんが同じコマ内に描かれていることが滑稽さを助長する。
勘九郎はその後も一度完結した後に再連載として始まったもののすぐに終わった「無敵看板娘N」で、着ぐるみを着た別人キャラというポジションにされたけど、これもやっぱり上手くいっていなかった。
Nは事実上新キャラで仕切り直しというような作品だったけど、どのキャラもぱっとせず残念な結果に。。