個人的な性癖なんだろうけど昔から「戦闘少女」が好きだ。戦う女性は美しい。少年漫画より戦うヒロインのほうが昔から好きだった。
映画はオヤジ臭いものばかり好きなのに不思議なもんである。やっぱり日本漫画の絵ではオヤジの真の魅力が表せないからか?
最後に「ドラえもんのテンポ感」について。
これも一定のパターンがあります。
まず「前の場面のやり取りと地続き的な形でそのまま場面転換する」
これは最も見られる表現じゃないでしょうか。
これもジャイアンの視点からカメラが引いて、ドラえもん達のふざけた様子が映り、真面目に歌うジャイアンが滑稽化される視点の移行。
「視点の客観化」カテゴリーの締めとして、【視点の移行】を挙げたい。
これまで挙げたカテゴリーと被っている気もするけど、私的には「視点が移行したことによる滑稽化」に分類したい。
特にこれは「他人事」という程でもないし「評価」というほどでもない。ただ視点が移行(カメラが引いた)だけ。
【他人の評価】
おかしい事象を評価者が冷静に批評する構図で物事を滑稽化する手法も見られる。
最も有名なのは「いや、そのりくつはおかしい。」
「他人事」に似た要素を持っているが、あくまで無関係的なスタンスだった「他人事」と比べて、こちらは関わりの度合いが強いので別にした。
この一連のコマは、熱弁をふるうのび太の横のドラえもんが、口を挟む前からわざわざ配置されている点に注目したい。
どう見てもバカバカしいことを言っているのび太を、ドラえもんの冷めた視線が客観化させ、顔が見切れたドラえもんが更に空間を滑稽にしている。
この絶妙にバカにした感じが素晴らしい
ジャイアンの歌に怯える民衆をのび太が他人事のように客観的に分析する(当然その後巻き込まれる)
次のカットも真剣に悩むジャイアンと完全に他人事なドラえもんの態度の対比が面白い。
F先生の達観した視点が作品の根底に流れている気がする。
この場面も原理的には「キャラの心理を読者だけに伝えてすれ違わせる」なので原理的には傍白不一致と同じです。「事前密談」とでも名付けてもいいかもしれません。
ちなみに「想定の深さ」というのは最近ハンターハンターで冨樫先生が使ってた言い回しですが、選挙編以降のハンタは冨樫先生が作家として更に一つ扉を開けてしまった異様な作品だと思ってます。
あらゆるエンタメにおいてここまで「想定の深い」作品は稀でしょう。
セラムンSは、視聴初期に「ピュアな心の結晶」というのがいい、と書いたけど、やはりこれもツボっぽい。
銀水晶という単一の強大なパワーの奪い合いより「他人のアイデンティティを形成するエネルギーを奪う」というモチーフのほうがゾクゾクくる。
これもナナやローゼンに共通する要素
私はPEACH-PIT先生が原作で描く「青少年の闇」が結構好きでして。やりすぎず嘘臭くもないなかなか痛い所を突かれてくる。
YJ版のうだつの上がらないFラン大生というのもイヤ~~な描写が見事だったけど、「大学生もの」はアニメ漫画界隈ではあまりヒットしない法則がある。