へこたれない原敬。
自らの人生を「浮沈」という通り、浮き沈みが激しい。
私だったら放校になったら絶望して毎日落ち込んで終わるかも。
原さんって、スムーズに総理大臣になったわけじゃなく「その環境でできる最大のことを真面目に全力でやる」人。
だからすごいんだよね。
盛岡藩に生息するUMA・くさい
その盛岡藩を治めていた8代目盛岡藩主・南部利視(としみ)公のお話を。
刀は武士の魂。
同じくらい髪も武士の魂。
丁髷一択の時代(一部除く)
髪の毛が薄くなる、すなわち曲げが結えなくなる。
それすなわち武士引退。
殿様の髪が薄くなったら…こうです! https://t.co/Kq9yWIqFwC
読書中の徳川将軍
『各藩にはいろんな特産物があるんだな。ふんふ…ん?!
盛岡藩の「クキ」ってなんだ ⁉️「くさい」って生き物がいるのか⁉️』
ラジオもTVもSNSもない時代。
日本全国の特産物って知らないから興味が尽きない。
現代でも他県に行くと風習や食事の違いにワクワクするもの。 https://t.co/MPulpbuO15
岩手県立図書館さんでは、藩校サミット開催にあたり児童コーナーに「おとのさま」関連の本をまとめていらっしゃいます👏
(写真掲載許可済)
お殿様を身近に感じ、そこから歴史に興味持ってくれると嬉しいわ。
盛岡藩での参勤交代でのエピソードも面白いですよ! https://t.co/8ZjjqAiPVL
原敬の名前マンガ。
原敬には「さとし」時期があったようで。
たかしですよー
昔は幼名があり原兄弟一斉に改名。
実兄の恭(ゆたか)と共に難読ですが理由がありましてね。
この仲良し兄弟エピソードで心が潤います。 https://t.co/7cmKyqKlCJ
5代目盛岡藩主・南部行信公。
生類憐れみの令でお馴染み、徳川綱吉公も5代目。
ということで、バチ被りのお二人。
生類憐れみの令は有名だけど藩ごとで温度差があった模様。弘前藩は割と重めの処罰にしていますが、盛岡藩はそこまで…
そのあたりも面白いなーと思ってみたり。 https://t.co/KCGGeOnc1w
大正7年(1918)9月29日第19代内閣総理大臣となる原敬。
その舞台裏にはドラマがありました。
絶対的な存在である元老・山県有朋(長州藩)
そこでこっそり手を組む元老・西園寺公望(京都)と原敬。
こうして平民宰相は生まれた。
盛岡タイムスさんで連載しておりました「ハラさん!」より。
普通選挙を実行しなかった原敬。
そこには考えがあったのですが国民の理解はなかなか得られず…
感情的な「世論」に流されず、責任感を伴う「輿論」を主張する国民と共に変革を行う事が原さんの考えでした。
選挙が近いので原敬ネタを。
政治家たるもの潔白であっても、疑われる行動は取らない。
まさに
『瓜田に履を納れず 李下に冠を正さず』
悪いことをして疑われないように工作じゃないんですよ。
やましい事なんてないのに、疑われる要素を排除してるんですよ。
盛岡藩3代目藩主・南部重直公は江戸生まれ江戸育ち。
元々の性格かチャキチャキの江戸っ子のせいか、盛岡藩の人達とは波長が合わなかったようで…それ故なのだろうか? 結構な伝説を持つ藩主。
改革肌だったのだと思うよ。
ペットはウズラの四ツ屋ちゃん。
過去作、文字が読みにくくてごめん。 https://t.co/YlhDrz9BEO
家老の孫で司法省法学校に通い、最終的に総理大臣になった原敬の実兄。
原恭(恭)さん。
さぞかし厳格なんだろうと思っていたら・・・!
ユーモアセンスのあるお兄ちゃんだった。
2018年原敬記念館さん企画で私の心を奪った岩手県知事との面会ネタ。
この時(明治26年)の岩手県知事は長州藩出身。 https://t.co/nbrdfsdd9K
藩から県に変わった明治時代でもそれは根強く残っていました。
それは原敬が教えてくれたの。
この漫画の時期は明治18年。
廃藩置県が明治4年なので、つい最近まで藩だったという感覚もあるでしょう。
文化が異なる盛岡藩領と仙台藩領。
それは岩手県になった今でも続いているのが面白い。