そんな有能な祖父・直記の姿を見て幼少期を過ごした原敬。
原敬の人生を知ると大成したのは「努力した人」だけではなく「へこたれない」精神の強さがあってこそだとわかります。私が原敬と同じ境遇だったら人生の序盤で自暴自棄になっているわ。
原敬は盛岡藩校、作人館の出身者です。 https://t.co/rlDfuukdYU
13代盛岡藩主はだいぶオラオラ系。
保守的な盛岡では歓迎されない性格。
水戸の徳川斉昭公と同時代を生きた殿。
世子である14代目とは波長が合わなかったのでしょうか。
親子仲は悪かったのですが、これまた間をとりもったのが原敬の祖父、直記です。 https://t.co/mAmXARZMdg
全国藩校サミット盛岡大会2024年11月23日開催
盛岡藩主12代目は2人いました。
いわゆる影武者です。
そしてその影武者エピソードに原敬の祖父が関わっています。
この祖父、原直記さん仕事ができて人格者。
12代、13代、14代の殿様にも関わっています。 https://t.co/taHLLniA82
全国藩校サミット盛岡大会 2024年11月23日開催
私推し殿・盛岡藩主8代目南部利視(としみ)公。
やんちゃエピソードが豊富にある一方、実は神主の資格を持つ珍しい殿(神主と言っていいのかな?)
利視公が建立した神社盛岡城跡公園近くに今もあるよ!
推しが作った神社♪※写真は過去 https://t.co/GkyyxOHF5h
岩手県立図書館さんの藩校サミットコーナー👏
児童用と一般用でございます。
いろんな本があるんだな〜と、まじまじ見ちゃいました。
岩手県立図書館設立には原敬が大きく関わっています。
当時の盛岡市宛のお手紙に書庫に関するアドバイスも。
そのお手紙、藩校サミット開催と同じ11月23日の日付! https://t.co/LG4zbfSEOr
全国藩校サミット盛岡大会 2024年11月23日開催
というわけで!
開催地盛岡藩のお殿様16人のうち、私が好きな殿★南部利視(としみ)公のエピソード。
結構やんちゃ時代が長く、その話が面白い殿。
私の解釈違いがあるかもだけど、私はこう捉えたんじゃ。 https://t.co/8JigH05zsf
佐藤昌介少年の性格が全く分からず、こんなキャラになっちゃった。
原敬は健次郎。佐藤昌介は謙太郎。
みんな幼名があるのに田中館愛橘はずっと愛橘。
藩主のお子の名前と被らないように…というエピソードがあるのですが原敬の弟も似た話があります。
盛岡藩の慣例なのか藩士の個人的配慮なのか。
全国藩校サミット盛岡大会開催に合わせ、市内の小中学校へ配られた「作人館だより2号」
作人館の一コマということで、原敬、佐藤昌介、田中館愛橘の学生時代を描きました。
戊辰戦争後に作人館に通っていた彼ら。
新しい時代を感じながら友情を深めていたことでしょう。
実際大人になっても仲良し。 https://t.co/IL410eRfmf
✨✨全国藩校サミット盛岡大会✨✨
盛岡市内の小中学校に配られた「作人館だより」の中で4コマ漫画描かせてもらいました(再掲)
1号は藩の話、2号は作人館の話。
2号の4コマは原敬ら作人館学生の日常を描いたよ。
載せられるタイミングになったら載せます!
ツリーには盛岡藩ネタまとめがあるよ。 https://t.co/1LhCWqWqLL
原敬の妻、浅さんは芸者時代に原さんと出会う。
求婚されるも「育ちが違うから」と一度は断りますが彼女と結婚した原さんは幸せそう。
家での「浅の夫」「貢の父」が心地良かったのだと思います。
互いを気持ちは年月が経っても色褪せない。
原敬のお墓の穴を掘っている時の話。
ようやく描けた!
大正10年11月4日
東京駅にて原敬が亡くなりました。
無念の死。
原敬の妻、浅は気丈に振る舞った・・・という話を漫画にしました。
きっと淡々とこなしているように見えたかもしれない。
でも、その心は悲しみでいっぱいだったでしょう。
でもって、その原さんのガッツは家系だね。
この茂平さんの件をいろんな意味で忘れないよう原家で語り継いだから、その精神が養われたと思われる。