全国藩校サミット盛岡大会 2024年11月23日開催
というわけで!
開催地盛岡藩のお殿様16人のうち、私が好きな殿★南部利視(としみ)公のエピソード。
結構やんちゃ時代が長く、その話が面白い殿。
私の解釈違いがあるかもだけど、私はこう捉えたんじゃ。 https://t.co/8JigH05zsf
佐藤昌介少年の性格が全く分からず、こんなキャラになっちゃった。
原敬は健次郎。佐藤昌介は謙太郎。
みんな幼名があるのに田中館愛橘はずっと愛橘。
藩主のお子の名前と被らないように…というエピソードがあるのですが原敬の弟も似た話があります。
盛岡藩の慣例なのか藩士の個人的配慮なのか。
全国藩校サミット盛岡大会開催に合わせ、市内の小中学校へ配られた「作人館だより2号」
作人館の一コマということで、原敬、佐藤昌介、田中館愛橘の学生時代を描きました。
戊辰戦争後に作人館に通っていた彼ら。
新しい時代を感じながら友情を深めていたことでしょう。
実際大人になっても仲良し。 https://t.co/IL410eRfmf
✨✨全国藩校サミット盛岡大会✨✨
盛岡市内の小中学校に配られた「作人館だより」の中で4コマ漫画描かせてもらいました(再掲)
1号は藩の話、2号は作人館の話。
2号の4コマは原敬ら作人館学生の日常を描いたよ。
載せられるタイミングになったら載せます!
ツリーには盛岡藩ネタまとめがあるよ。 https://t.co/1LhCWqWqLL
原敬の妻、浅さんは芸者時代に原さんと出会う。
求婚されるも「育ちが違うから」と一度は断りますが彼女と結婚した原さんは幸せそう。
家での「浅の夫」「貢の父」が心地良かったのだと思います。
互いを気持ちは年月が経っても色褪せない。
原敬のお墓の穴を掘っている時の話。
ようやく描けた!
大正10年11月4日
東京駅にて原敬が亡くなりました。
無念の死。
原敬の妻、浅は気丈に振る舞った・・・という話を漫画にしました。
きっと淡々とこなしているように見えたかもしれない。
でも、その心は悲しみでいっぱいだったでしょう。
でもって、その原さんのガッツは家系だね。
この茂平さんの件をいろんな意味で忘れないよう原家で語り継いだから、その精神が養われたと思われる。
へこたれない原敬。
自らの人生を「浮沈」という通り、浮き沈みが激しい。
私だったら放校になったら絶望して毎日落ち込んで終わるかも。
原さんって、スムーズに総理大臣になったわけじゃなく「その環境でできる最大のことを真面目に全力でやる」人。
だからすごいんだよね。
盛岡藩に生息するUMA・くさい
その盛岡藩を治めていた8代目盛岡藩主・南部利視(としみ)公のお話を。
刀は武士の魂。
同じくらい髪も武士の魂。
丁髷一択の時代(一部除く)
髪の毛が薄くなる、すなわち曲げが結えなくなる。
それすなわち武士引退。
殿様の髪が薄くなったら…こうです! https://t.co/Kq9yWIqFwC
読書中の徳川将軍
『各藩にはいろんな特産物があるんだな。ふんふ…ん?!
盛岡藩の「クキ」ってなんだ ⁉️「くさい」って生き物がいるのか⁉️』
ラジオもTVもSNSもない時代。
日本全国の特産物って知らないから興味が尽きない。
現代でも他県に行くと風習や食事の違いにワクワクするもの。 https://t.co/MPulpbuO15
岩手県立図書館さんでは、藩校サミット開催にあたり児童コーナーに「おとのさま」関連の本をまとめていらっしゃいます👏
(写真掲載許可済)
お殿様を身近に感じ、そこから歴史に興味持ってくれると嬉しいわ。
盛岡藩での参勤交代でのエピソードも面白いですよ! https://t.co/8ZjjqAiPVL
原敬の名前マンガ。
原敬には「さとし」時期があったようで。
たかしですよー
昔は幼名があり原兄弟一斉に改名。
実兄の恭(ゆたか)と共に難読ですが理由がありましてね。
この仲良し兄弟エピソードで心が潤います。 https://t.co/7cmKyqKlCJ