うっかり!昨日(5/10)は11代盛岡藩主・南部利敬公が藩主として初めて盛岡入りした日👏
3歳で藩主に就任。
39歳で亡くなるまで藩主を務めた。
在職中イロイロあったけど、そんな事知る由もな幼き頃は可愛い藩主として大切にされていたに違いない。
だってお絵描きがたくさん残っているから!>RT
盛岡藩の江幡五郎(那珂梧楼)と長州藩の桂小五郎は幕末に出会って友人関係に。
戊辰戦争時は藩同士が敵対。
江幡五郎は戊辰戦争の責任を問われ東京で幽囚生活を送ることに・・・でもね、心優しい桂さん(木戸孝允)は赦免された江幡さんに会いに来るんですよ!その時の話漫画↓
(2-1) https://t.co/bhDkjJOf6R
昨日放送の山口と盛岡の共通点番組。
TVerでも見れるよ。
歴史好きの私から見た盛岡藩と長州藩の繋がりを。
江戸時代では余計遠く感じる両藩ですが、殿同士は親戚、盛岡藩の江幡五郎と長州藩の吉田松陰先生はお友達。
明治期には岩手県の原敬と山口県の伊藤博文や井上馨などお歴々との出会いもあるよ https://t.co/1txySLtdyC
#アイスクリームの日 #アイスの日
本日はアイスの日だそうで。
過去絵で申し訳ないですが、アイスと言えば!のお2人を。
伊藤博文(俊輔)&井上馨(聞多)
身分も年齢も違うのに、おじじになっても仲良しってすごく良い関係だなって思うの。
原敬の妻、浅さんは芸者時代に原さんと出会う。
求婚されるも「育ちが違うから」と一度は断りますが彼女と結婚した原さんは幸せそう。
家での「浅の夫」「貢の父」が心地良かったのだと思います。
互いを気持ちは年月が経っても色褪せない。
原敬のお墓の穴を掘っている時の話。
ようやく描けた!
いつでも何度でも載せちゃう、我が殿・利視公(8代盛岡藩主)の髪事情【再掲】
髪が薄くて髷が結えないな〜えへへ☺️
と照れ笑いが出来ない江戸時代。
髷=武士の象徴
体力があっても公務を退き引退しなくてはならない。
そんな中、薄毛に悩む36歳のお殿様がおったのじゃ。
(飲み会はコロナ前の話)
江戸時代、大名同士の婚姻はどうやって決めてたんだろ🤔
と思っていたところ御手先組という役職を教えて頂き、久々の1次創作!
盛岡藩南部家10万石。
次期当主・信貞(のち9代藩主・利雄公)の「運命」の相手を探す御手先組のお話。
創作ですのでご寛大に。【9-1】
#漫画が読めるハッシュタグ
6年前、私はガラケーでした。
当時アメトーークでガラケー芸人を特集。
共感と共にスマホの脅威に怯えていました。
ガラケーとスマホ保持率が1:1の時代。
いつか来るスマホ時代に抗った思いと幕末をリンクさせた漫画(笑)
執筆時はガラケー。出身地は盛岡藩
決してバカにはしてないよ。【3-1】
幕末の盛岡藩家老・楢山佐渡
桂小五郎と酒を交わした事があるそうな。
戊辰戦争前、佐渡さんは京都へ向かいそこで幕府につくことを決定したと言われている。桂さんとはこの頃会ったのかしら。
そんな佐渡さんは5月生まれ。
14代盛岡藩主とは従兄弟の関係。
6歳で殿のお相手として登城。
23歳で家老に https://t.co/qht4As3MVl