通信販売大手・千趣会(ベルメゾン)創業時の社業・こけし人形販売の広告(昭和37年)@retoro_mode
【昭和のテレビ】サントリー笑待席 昭和43年
『笑点』を立ち上げた立川談志は、並行して類似番組に次々と関与する。その一つがこの番組で、『笑点』同様に司会を務め、収録場所も後楽園ホール。内容は漫才と対談コーナーで構成したが、約半年で打ち切られた。@retoro_mode
「漫才協会」の前身「漫才協団」団員一覧(平成12年)。現在は浅草の東洋館を定席としているが、昭和30年に「漫才研究会」として発足した当時はロキシー劇場(戦前の金龍館。跡地は現在のROX3G)にわずかな日数で間借りする状況だった。@retoro_mode
戦後14年。傷痍軍人らへの恩給問題で揉めていたこの頃、新宿では軍隊キャバレー「ダイフク」が人気に。店舗は「陸軍」と「海軍」に分かれており、敬礼するボーイに迎えられて“入営”し、高らかに軍歌を歌い合うというコンセプトだった。(昭和34年)@retoro_mode
昭和19年、法人「後楽園スタヂアム」は「後楽園運動場」へと商号変更。球場はその2年前から改称し、サーカスや大相撲を誘致。
昭和10年。柳家金語楼は埼玉県川口市横曽根二本木(現在のアリオ川口近辺)にレコード工場設立を計画。レコードや付属品の製造を目的としていたが、、、頓挫したのだろうか、その後の形跡がない。
@tvdrama_db 1980年3月18日
『まんが猿飛佐助』見えない敵カスミ忍者現る
1980年3月25日
(プロ野球・巨人対西武オープン戦)→試合は実施
1980年4月01日
(プロボクシング)→試合は実施
1980年4月08日
(生きている怪獣大集合)
1980年4月15日
『まんが猿飛佐助』さらば佐助・またの日を[終]
#22と#23は未放送、、、!?
放送開始前は全26回と報じられていましたが、実際は全27回でした(各当日のテレビ欄で確認)。あと昭和44年3月1日は特番『世紀の祭典』で休止。@tvdrama_db
【あの日のテレビ欄】昭和41年5月15日(日)
前身番組〈金曜夜席〉をリニューアルし、昨日で放送2860回・57年の歴史を重ねた『笑点』。初回のこの日は演芸が立川談志の〈源平盛衰記〉、〈ものを聞こう〉コーナーが談志と柳家金語楼の対談、そして大喜利の三部構成だった。#笑点 @retoro_mode