【昭和の広告】自動貯金箱 昭和31年
通話料金を徴収できる特殊簡易公衆電話(ピンク電話)が登場するのは昭和34年。それ以前の機械式は一般の黒電話に“自動貯金箱”を取り付けて利用された。しかし通話先は判別できないため、市内通話料金の10円で高額な市外通話する悪用が多発した。@retoro_mode
昭和10年11月9日、この日の東京巨人軍は“ジミー”堀尾文人を復帰させ、看板投手の青柴と沢村を立てるも打ち込まれ東京鉄道局に大敗。三宅大輔監督の更迭が決定的となる。@retoro_mode https://t.co/qY8TIrDQED
富山市の戦災復興地図(昭和25年)に神通球場が。戦前は昭和9年の日米野球第7戦で使用、戦後は公式戦を5試合ほど挙行、現在は小・中学校となっている。
名作コント「立会演説会」や「当たり屋」が生まれた『コント55号の世界は笑う!』(昭和43年~45年)。フォンタクトはここでも「一人オーケストラ」を披露。@retoro_mode https://t.co/63NXWs5Mbv
初代・内海突破が経営した喫茶店「鳩ポッポ」、広告を調べると多店舗展開していた模様。画像は昭和36~41年。@retoro_mode https://t.co/GhNrsc9Tg9
【昭和のファッション】ジャンスカ 昭和40年
近年再び人気だというジャンパースカートを着る柏木由紀子と松本めぐみの二人。『女学生の友』昭和40年11月号所収 @retoro_mode
【昭和の広告】メヌマポマード 昭和11年
実業家・井田友平が国産の植物性調髪油として大正6年に発売。商品名は出身地の妻沼町(埼玉)に由来する。広告モデルは歌手の中野忠晴で、率いたジャズコーラスグループが人気を博し、この年には『大阪タイガースの歌』を吹き込んだ。@retoro_mode
医学博士の髙橋孝太郎が5年の歳月をかけて開発、昭和初期に大ブームを起こした滋養強壮飲料『どりこの』。その製造法は博士のみが知り、謎に包まれていたが後年の研究で成分上は「砂糖水」であることが分かっている。なお、博士は何を思ったか『どりこの鍋』という鍋も考案している。@oldpicture1900 https://t.co/gQfHMZbmAp