明治43年7月26日付『横浜貿易新報』、狂仙「御殿場より/奇抜な広告」なる記事に「棄てられた野の石は『咳止飴』の広告を白く塗られてある」とあるのは、大正5年の『都新聞』で富士山の至る所にあると指摘された屋外広告と同じものだろう。白ペンキで路傍の石に描き付けたようだ。探せば写真があるか。
気になる展覧会:神奈川県立近代美術館鎌倉別館「木茂先生の挿絵考 併陳:近代の洋画」2025年4月26日(土曜)-7月21日(月曜・祝)https://t.co/admHdOa4J9
字が潰れて読みにくい箇所の多い明治40年11月5日付『大阪朝日新聞』の「菊の栞」には鳴尾百花園に竹田良助作の「造人形」があったと読める箇所がある。同11月21日付紙面、大阪道修町の神農祭の記事にも「造物」の制作者として竹田の名がある。当時人形師としての引く手あまたの人物だったのかしらん。 https://t.co/H1CIGPSvm1
大正13年3月1日付『大阪時事新報』朝刊、神戸の動物商("日本最古の動物商人")中田和平が南米由来の干し首らしきものを所有し、巨額の動物取引の場で「間違ったら首を差上げます」と軽口のネタにしていたらしい(笑)その首を譲り受けたという豊橋の市会議員片山竹五郎も興行界隈の人物だったようだ。
#この企業そんなもの造ってたのというモノを挙げてみよう といえば何だろう。銀座・鳩居堂の「蛇頂石」、講談社の「どりこの」、主婦の友社の「木の実スピリッツ」とか、この辺は面白い。
はしご古書で吉祥寺の百年さんへ。『年表近代日本の身装文化』が半額であり、びっくりして買い求めた(笑)『日本ばちかん巡り』もあった!(誰か向けお役立ち情報)