大正8年7月1日付『静岡民友新聞』悪疫避けとして七つの何かを詣でるパタンとして、この年の静岡の中遠地方では弘法大師を参ることが流行ったという。面白い。 https://t.co/XrJKSARCNk
大正13年10月29日付『都新聞』毎年帝展の会場が鑑賞そっちのけで格好のお見合いの場となり、会場側が手を焼いている様子が記事になっていた。この年は開場以来すでに30数件が目撃されたという。掘り下げると面白そうな匂いがする。 https://t.co/T41roUFZwn
京都岡崎の紀念動物園にライオンがやってきた。初めて目の当たりにする百獣の王の威容は人々を驚かせたことだろう。明治40年1月の『京都日出新聞』にはライオンの記事や広告が散見する。画家たちも競うように写生の筆を滑らせたようだ。咆哮は東山も震動せんばかりに響き渡る。
大正13年9月1日付『都新聞』「フジンシツ」欄にこんな記事があった。ピアノの修繕詐欺が横行する程度にはピアノが家庭に普及しつつあったと読めそうで面白い。楽器の素養がないので、秋口が楽器類の手入れ時と言われてもピンときていない。今でもそういうものなのか、時代的な背景があるのか気になる。
大正13年9月25日付『都新聞』「諸国の噂」欄、こちらには「嗜眠病」避けとして番茶風呂に入る、「唐黍、玉葱、紫蘇を煎じて飲み、そのあとで団子を三つ喰ふ」という長崎県で見られた事例を紹介する。 https://t.co/XrJKSAR4XM
大正13年7月31日付『都新聞』「禽獣商売往来」第三回、動物の飼養料を稼ぐため動物商が窮余の策として片手間に始めたのが巡回動物園だとする(神戸の有竹も確かに巡回興行を実施していた模様である)。巡回興行に欠かせない目玉となる動物としてライオン、トラ、シマウマが挙がっているのも興味深い。