こんなところにも「人形町の勝文」の名前があった。息子が勝文の弟子だったという蔵前の絵馬屋のおばあさんが昔を語る。大正9年12月18日付『都新聞』 
   列車給仕界のスターだったのだろうか。大正11年11月5日付『都新聞』、「お召列車には必ず荒井給仕君が乗務」、英語が堪能で「外人間にも『アラヰ』の名が知れ渡つてゐる」という19歳の荒井潔少年。給仕になって四年の日給とチップを貯め上げて、鉄道従事者二万人余の頂に立つ“貯金王”になったという。 
   明治41年4月18日付『都新聞』には例えば「御座敷の外に絵葉書屋に頼まれてモデルになるので忙しい」と紹介された芸妓が載っている。 
   大正3年4月2日付『都新聞』に、ある人物が幻視した理想的な骨相を備えた「羅美宣(らびせん)」なる福神が紹介されていた。Googleブックスに「羅美宣」で引っかかった本があったのでついでにメモしておく。