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「ワシの家のグルリなどは、みなバクチばかりして居たが、ヲヤジが嫌ひだつたせゐか、ワシは幼い時から、ごくキライだつた。」  #勝海舟 
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「天保の大飢饉の時には、おれは毎日払暁に起きて、剣術の稽古に行く前に、徳利搗といふことをやつたヨ。これは、徳利の中へ玄米五合ばかりを入れて、その口へはいるほどに削つた樫の棒で、こつこつ搗くのサ。」 
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「それで、一軒の旗本の所へ、三四人もサウいふ出入の小旗本がある事がある。己は、十三から半年ほど、叔父の所へ厄介になつて居たから、よくそれを知つて居る。」 
   勝小吉32歳頃。地主の金の工面をして貧乏になってしまった小吉。友達が相談して、掛け捨て無尽をしてやろうとゆう話になりますが…。
マンガ『夢酔独言』八十二話(1/4)
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「下谷の友達が、久しくおれが下谷に来ないという話をしていた。おれの家来分の小林隼太が、
『この頃は貧乏になって弱っているそうだ』
と言ったら、皆が、
『それは気の毒だ。今まで世話にもなったし、恩返しに掛け捨て無尽でもしてやりたいが、それじゃあ勝は受け取らないだろう』」 
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「すぐに刀剣道具の売買を再開した。その月の末には、蔵宿の番頭で又兵衛というのから預かった備前の助包の刀を松平伯耆守に売って、十一両儲けた。又兵衛からも、鰻代として別に五両くれた。」
それから毎晩、江戸神田近辺や本所の道具市へ出ては儲けたから、だんだん金も貯まってきた。」 
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「親類の牧野長門守が、山田奉行から長崎奉行に転役した。
虎の門外桜田町の尾張屋亀吉という安芸の小差が、牧野の小差になりたいと、水心子秀世経由でおれに仲介を頼んできた。話を聞いたら、金を五十両持って来て、
『これで牧野様のお好みの品を買って差し上げてください』
と言う。」 
   ネームばかりしていて夕飯がまだなので、作って食わないといけません。
描いてた証拠の、当たりさわりない一場面です。 
   勝小吉30歳代頃の、道具市での小吉の儲け術です。
マンガ『夢酔独言』八十三話(1/4)
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「毎晩、江戸神田近辺や、本所の道具市へ出ては、刀剣道具を売って儲けたから、だんだん金も貯まってきた。
親しい者が困ったと聞くと、その度助けてやったから、皆が贔屓にして、おれにいろいろ刀を持って来た。素人から仕入れるから、いつも損をしたことはなかった。」 
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「その代わりには、いつも市の終わりには、例え商人が五十人いたとしても、蕎麦一杯ずつでも、なるべく食わせて帰すようにした。町人は一文二文で一喜一憂するから、皆が喜んで、あちこちの市場に、おれが載る座布団を置いてあったものだよ。」 
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「毎晩、道具市に出るのを勤めだと思って精を出した。
売り物の手数料のつもりで、百文につき四文ずつ除けてみたが、三ヶ月の内に、三両二分の端銭が貯まったから、それで刀を拵えた。」