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「親類の牧野長門守が、山田奉行から長崎奉行に転役した。
虎の門外桜田町の尾張屋亀吉という安芸の小差が、牧野の小差になりたいと、水心子秀世経由でおれに仲介を頼んできた。話を聞いたら、金を五十両持って来て、
『これで牧野様のお好みの品を買って差し上げてください』
と言う。」
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「浅草の馬道に、生江政左衛門という一刀流の先生がいた。
おれが十八の年だ。ある時、新太郎と忠次郎とおれの三人で、生江に試合を申し込んだ。早速承知したから、稽古場へ通って、そこの弟子とおれが使った。初めてだったから一生懸命使ったが、向こうが下手でおれが勝った。」
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「六月か五月末、九州から虎の兄弟が江戸へ来た。毎日家を行き来して、世話をして江戸を見せて歩いた。
金十郎という男は、おれに頼りきりだったから、たいていおれの家で泊まっていた。
ある日、吉原へ俄(にわか)を見に行った晩、馬道町で喧嘩をして見せたら、金十郎は怖がった。」
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「翌朝、代官の新右衛門を呼んだ。
『今日は少しばかり、おれにいいことがあるから、七つ過ぎから、村方一同に酒を振舞ってやりたい。金は渡すから尼崎で新鮮な魚を買って、吸物その他、良いものを用意してくれろ』
と言って、その日の献立を書いたのを渡した。」
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「これまでいい友達もなく、悪友ばかりと交わって、良いことには少しも気付かなかった。法外な振る舞いを英雄豪傑と思い込んで、間違えたことばかりした。親類、父母、妻子にまで、どれだけ苦労をかけたか分からない。」
#はやおき訳
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「おれは学問が大嫌いだから、
『少しもいたしませぬ』
と答えた。
先生は、
『それはいけない。学問は英雄の下地であるぞ』
と仰られたが、
『仕方なく少しは始めたこともありますか、とにかく気分が悪くなります。尊敬する先生の仰せではござりますが、こればかりは承知できませぬ』」
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「何にせよ早く御番入をしようと思っていたから、あちこちの道具市へ顔を出して、稼いでいたところだった。男谷の親父が死んだと、知らせが来た。」