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「それで、一軒の旗本の所へ、三四人もサウいふ出入の小旗本がある事がある。己は、十三から半年ほど、叔父の所へ厄介になつて居たから、よくそれを知つて居る。」
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「言われた通りにしたら、だんだん家のイザコザも収まってきて、やかましい婆あ殿もおれを立ててくれるし、世間の人にも信用されるようになってきた。だから人が解決できない難しい相談事、話し合い、その他何でも、自分のことのように思って、助けてやった。」
#はやおき訳
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「諏訪部が博奕をしている間、おれは常磐町の女郎屋へ行って、女郎を呼んで遊んだ。
夜の七つ頃、迎えを寄越したから、茶屋へ行ってみたら、諏訪部が六百両ほど勝っていた。おれが見切りをつけて連れて帰った。」
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「姉がいろいろ心配をして、あちこちの寺に祈祷なぞ頼んだと聞いたから、翌年春、姉を安心させるため、隠居した。三十七の年だ。」
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「丈助一件の礼に孫一郎から、
『丈助への返金の残りは使ってくだされ』
と言われたが、それでは暮の孫一郎の生活費もままならないから、一文ももらわなかった。岡野で相談して、木綿の反物を一反くれた。
世間ではおれに百両ももらえばいいと言ったが、おれはそうしなかった。」