(3/4)
「おれが横っ面を殴ってやると、残りのやつらが総出で殴りかかってくるから、当てずっぽうで殴りまくったら、皆逃げていった。
四人で八幡をブラブラしていると、二十人ばかり、長鉤を持って来た。 
『何だ』
と思っていると、一人が、
『あの野郎だ』
と抜かして、四人を取り囲んだ。」 
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「四谷伊賀町の横町組屋敷に、平山行蔵という小普請の御家人が住んでいた。近年稀に見る武辺者で、学問にも秀でていると、当時の人々の評判だった。
ある時、おれの友達の鷹巣という人が、水心子天秀という刀鍛冶に刀を打たせた。おれはそれを借りて、平山先生に会いに行くことにした。」 
   (3/4)
「婆あ殿が醤油に水を入れたり、様々な嫌がらせをするから、気分が悪くてならなかった。〈中略〉親父に言えばおればかり叱るし、こんな困ったことはなかった。」 
   (2/4)
「婆あ殿がおれの面さえ見れば小言を言うので、おれも困った。兄嫁にも相談したが、兄嫁も気の毒に思って、おれの親父に話してくれた。
親父は婆あ殿に、
『小吉もだんだん年を取るが、収入の少ない者は、自炊しないとやっていけない。今後は、小吉の食事は当人にさせるようにしなされ』」 
   (3/4)
「道の脇の、半町ほど引っ込んだ所に寺があった。そこの坊主がおれを見つけて、毎日麦粥をくれたからようやく力がついた。
二十二、三日ほど松原で寝ていた。坊主が薦を二枚くれて、
『一枚は下へ敷き、もう一枚は掛けて寝なさい』
と言うから、その通りにしてぶらぶら過ごした。」 
   (2/4)
「白子の松原で寝た晩に、頭痛が強くして、熱が出て苦しんだ。翌日は朦朧として松原で寝ていたが、二日ほど経って、ようやく落ち着いたから、道端まで出て、そこに倒れて、通りかかる人に一文ずつもらった。七日くらいは水ばかり飲んで、かろうじて飢えをしのいだ。」
 #はやおき訳 
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「とにかく早く勤めようと、あちこちで稼いでいた頃だった。男谷の親父が死んだから、ガッカリとして、何もかも嫌になった。」