(2/4)
「その時は深川の油堀という所に居たが、庭に汐入の池があって、夏は毎日池にばかり入っていた。
八つ時には親父がお役所から帰るから、その前に池からあがり、知らん顔して遊んでいた。いつも池が濁っている訳を、親父が利平次に聞くのだが、利平は返事に困ったそうだ。」
#はやおき訳
(2/4)
「三八・五十日が稽古というから、初めて稽古場に顔を出した。初めは遠慮をしていたが、だんだんとイタズラをしだして相弟子に憎まれ、しょっちゅう酷い目にあった。
ある日稽古へ行こうとすると、榛の木馬場という所で、前町の子供やその親が大勢集まって、おれが通るのを待っている。」
「後に本壽院となられるおミツの方にはよく目をかけてもらい、時々は菓子なぞを頂いていたそうだ。」
2/4
「『今晩の命の保証もできません』
と医者は言った。家中のやつらが泣いてばかりいるから、思いきり小言を言って、叩きちらしてやった。」
#はやおき訳
(3/4)
「帯刀の家を発つ支度をしていたら、帯刀の親父の斎宮が、ある晩いろいろ意見をいってくれて、
『江戸へ帰りなさい』
と言う。
『もはや決して帰られませぬ。家出は今回で二度目です。申し開きもできませぬ』」
(3/4)
「頭が、
『年はいくつ。名は何という』
と聞くから、
『小吉。年は十七歳』
と答えたら、石川殿は大きな口を開けて、
『十七歳にしては老けておる』
と冗談を言って笑いおった。」
(3/4)
「『今さら改心はできませぬ。気が変わりはしませぬ』
と言ったら、精一郎が、
『もっともだが、行動を慎め』
と言う。おれは、
『慎みようもない。もう親父が死んでしまって頼みもないから、御番入もとっくに諦めた。せめて、したいだけのことをして死のうと思っただけにござります』」
(2/4)
「丈助がご老中に直訴したものだから、事態がややこしくなってきた。
丈助の身柄は岡野に引き渡しになった。頭(かしら)の遠山安芸守から通達があるから、岡野は丈助を引き取って、長屋へ押し込めて宅番を付けた。」
#はやおき訳
(3/4)
「夜五つ(20時)頃には呼びに来るかと思って待っていたが、少しもその気配が無いから、その晩は吉原へ行って翌日帰った。
それから、
『ただで済ますわけにいかないから、兄様に一筆書いて出せ』
と言われたが、それもしなかった。」