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「ワシの家のグルリなどは、みなバクチばかりして居たが、ヲヤジが嫌ひだつたせゐか、ワシは幼い時から、ごくキライだつた。」 #勝海舟
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「刀剣講という集まりを立ち上げた。相弟子や親しい人に相談して、氷心子秀世、細川主税正義、美濃部大慶直胤、神田の道賀、梅山弥曾八、小林真平ら刀工や、当時の刀鑑から金を集めた。」
テステス、要約漫画5ページ目が、おおむね埋まりました。
まだ『夢酔独言』を書いてないのに切腹しようとする夢酔(勝小吉)。
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「おれの身の上がこうなったのは、誰かが大兄に勧めて、おれを詰め牢にまで入れようとしたからに違いなかった。
そこでいろいろ工夫をして詮索したら、林町の兄が、先年におれに恥をかかされた仕返しに、家中寄ってたかって、大兄にあることないこと告げ口した、と確かに聞いた。」
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「『お前さんが岡野の地面に居ながら、あれ程のことをただ見ているとは、どういう訳だ』
と聞くから、
『それはこういう訳だ。これまで食って行けない家計を、おれが骨折って食えるようにしてやったのに、丈助を雇うなと言ったら、おれを追い出そうとしたから、ケンカをしたんだ』」
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「それからすぐ奥山へ行った。切っ先が一寸余は掛かったかと思った。大勢の混み合い場では、長刀も善し悪しだと思った。多羅尾は禿頭だから、傷が付いた。
それからケンカをしながら、両国橋まで来た。その晩は他に仕事もなかったから、家へ帰った。」
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「雷門の内側は混みあっていて、刀が股ぐらに入って歩かれなかった。
押し合いながら進むと、ある侍が、山椒の擂粉木で多羅尾の頭を殴った。おれが押されながら、そいつの羽織を押さえると、今度はおれの肩を殴りおった。
刀を抜こうとしたが、小尻がつかえて抜くことができない。」
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「八之丞サマといつて、一ツ橋のあとに直る人だつたが、大層、ワシがお気に入りで、十二までお附きだつた。その頃、隠居をするのは、一年かゝるが、親仁も、私を八之丞サマにつけて、出世させるつもりで願つたが、…」
#勝海舟
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「それゆゑに人は、平生の修行され積んでおけば、事に臨んで決して不覚を取るものでない。剣術の奥意に達した人は、決して人に斬られることがないといふことは、実にその通りだ。おれも昔親父からこの事を聞いて、ひそかに疑つていたが、…」
#勝海舟
「『しかしながら、この子の家はとても貧しく、ここに着ている着物も実は親類から借りたぐらいでござります。粗相があるやもしれませぬ』
と答えたが、構わないということで、それから大奥のおチヤの部屋へ上がり、初之丞様のお側に仕えることとなった。」