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「翌日、亭主は、
『まず伊勢へ行って、身の上を祈るがいい』
と言ってくれた。もらった米と麦と三升ばかりに、銭五十文を礼にやった。
それから、毎日物乞いをして、伊勢の大神宮に参詣した。」
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「十八歳の年、男谷の家から独立して、兄の庭の内に家を建てて移り住んだ。その時、兄から借金三百両を精算してもらい、家作代まで出してもらった。親父からは家財道具一式をもらったから、無借になって嬉しかったよ。いろいろな居候が多く置いたから、またすぐに借金ができた。」
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「小田原の三枚橋まで来て、茶屋の脇で寝ていたら、人足が五、六人来た。
『小僧や。なぜそんな所で寝ている』
と言うから、
『腹が減って仕方がないから寝てるんだ』
と言ったら、飯を一杯くれた。
その中の四十ばかりの男が、
『オレの家へ来て奉公しやれ。飯がたくさん食えるぞ』」
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「入江町の岡野孫一郎の地面へ引っ越してから、脚気もだんだんよくなってきた。
ふた月ばかり経った頃か、九つになる息子が御殿から戻って来た。そこで本読みの稽古に、三つ目橋の向こうの、多羅尾七郎三郎の用人の所へ通わせることにした。」
#はやおき訳
勝小吉が42歳(天保十四年、西暦1843)で『夢酔独言』を書くに至ったもしものエピソードです。
マンガ『夢酔独言』六十二話(1/4)
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「『それといつて、何もこの二つがたゝるといふわけでもあるまいが、つまり自分の心に咎めるところがあれば、いつとなく気が餒ゑて来る。すると鬼神と共に動くところの至誠が乏しくなつて来るのです。そこで、人間は平生踏むところの筋道が大切ですよ』
と言つて聞かせた。」