横山隆一の漫画「養子のフクちゃん」(画像は『東京朝日新聞』1937年1月26日付夕刊4面)。3コマ目の「ウガキさん」とは宇垣一成のこと。広田弘毅の次に総理大臣になるはずだったが……。
横山隆一の漫画「フクチャン」(画像は『朝日新聞』1942年12月31日付朝刊4面)。
#コロナばっかりで気が滅入るから昭和の漫画画像貼ろうぜ
「われらの『無敵艦隊』大行進!」(『大阪毎日新聞』1932年9月10日付朝刊7面)。写真の軍艦は戦艦金剛と重巡羽黒など。「われらの海軍、われらの軍艦はどれ位強いか」を誇示している。
こちらもグリコの広告(画像は『大阪朝日新聞』1934年6月30日付朝刊16面)。1934年は昭和9年。先生がほめるお菓子はグリコだけなのは本当か?
#昭和の広告
#タイムラインをあたかも昭和にする
グリコの広告(画像は『東京朝日新聞』1937年5月16日付朝刊9面)。1937年は昭和12年。
#昭和の広告
#タイムラインをあたかも昭和にする
赤玉ポートワインの広告(画像は『大阪朝日新聞』1933年11月2日付朝刊8面)。1933年は昭和8年。
#昭和の広告
#タイムラインをあたかも昭和にする
徳冨蘆花の死亡記事(画像は『東京朝日新聞』1927年9月19日付朝刊7面)。不仲だった兄の蘇峰と死の直前に和解している。
クラブ歯磨の広告(画像は『大阪朝日新聞』1934年1月8日付朝刊9面)。1934年は昭和9年。この当時、大楠公すなわち楠木正成は忠臣として称揚されていた。
#昭和の広告
#タイムラインをあたかも昭和にする
#太平記
画像は1932年12月20日付の読売新聞に掲載された身の上相談(朝刊9面)。替え玉受験ならぬ替え玉婚という事例があったのか。回答者の賀川豊彦も、「嫁の替え玉とは何というナンセンスでありましょう」と、あきれ果てている。
一方、西脇順三郎(詩人、英文学者)は、小林多喜二の小説が「伏字の多いために」、「小説の世界の生命力」が半減されていると感じている(画像は『東京朝日新聞』1933年3月2日付朝刊9面)。