東向島の細い路地にある天麩羅屋。この路地には以前は鰻屋、豆腐屋、酒屋など沢山の商店があったが今はこの店だけが生き残る。約40年前に浅草の葵丸進出身の前経営者がこの地に創業し、23年前に今の経営者が引き継ぐ。ランチの天麩羅定食を頂く。コロナ禍で客が減り困窮されている。近隣の方は是非に。
「酒は剣菱、男山」と唄われ、あの赤穂浪士も討ち入り時に呑んだ剣菱の社長にご来店頂いた。
阪神大震災の時は剣菱8蔵の内7蔵が倒壊、家中の金を集めて200人の社員に分け与えた、伝統を守る酒造りを続ける、家訓で営業はしない、但し剣菱を大切に扱う飲食店には協賛看板は出す…
貴重なお話を伺えた。
本蓮沼駅徒歩4分、国道17号線沿いに佇む間口一間の立ち食いそば屋。営業時間は平日の夜10時から早朝7時。女性店員が1人で切り盛りしていた。紅生姜天そばを路上に置かれた卓上で頂く。出汁が旨い。都心の立ち食いそば屋が深夜営業を中止する中で深夜のみ営業の奇跡のような蕎麦屋。店の経営者に感謝。
旧京橋区木挽町(銀座4丁目)
歌舞伎座の前に佇む小さな料理店。昭和11年開業時の営業許可種目は西洋支那料理和洋酒喫茶。女将と息子さんであろうか青年料理人が厨房に立つ。ハンバーグ定食とカツカレーを頂く。旨い。素朴な味ではなく過剰な旨味がない昔ながらの洋食。銀座に生き残っている奇跡に感謝。
青井駅徒歩9分、都営住宅が立ち並ぶ弘道2丁目の路地に佇む創業約50年のもつ焼屋。美人の女将が1人で切り盛りしている。もつ焼、ラーメンなど頂く。もつ焼は注文を受けてからカットして串打ち。1本80円と安価だが大きくて美味い。記憶に残る名酒場だ。女将は耳が遠いから大きな声で注文してあげてね。
五反野駅徒歩2分、旧街道沿いに佇む創業約50年の大阪寿司屋。2代目の店主が1人で切り盛りしている。大阪寿司店も東京では随分と少なくなってしまった。店主曰く昔はこの店の周辺は商店街として栄えていたとの事。今は見る影もない。鮭が入った磯巻、茶きんなど購入。
東京に生き残る貴重な大阪寿司だ。
「親が56年前に2階でお店を始めて30年前ビルの建て替え時に1階に移転したの。昔は1階にも2階にも沢山飲食店があったけど今はうちと2階の喫茶店だけになっちゃった。寂しくなったわね」
寂れた食堂街に唯一生き残る食堂にて全く期待していなかった天ぷらもヒレカツも温泉玉子も記憶に残る絶品であった。
スカイツリー開業10周年か。電波塔が出来て押上周辺は土地の価格が2倍以上、向島も坪150万円くらいだったのが今は250万円くらい。この辺りに土地を買って店舗付き住宅を建てる夢は諦めた。売上も客単価も上がらないしこの10年間で何もいい事ないや、
と思ったけど生き残れただけでも運がいいのかもな。
JR両国駅東口、創業43年の喫茶店。高齢の店主と中年男性の2人で切り盛りしている。ブルーマウンテンと初見の生クリームパフェを頂く。ブルーマウンテンは香りが素晴らしい。口に含むを若干の酸味を感じるあっさりした味わい。生クリームパフェは底に沈んだ紺碧のシロップが鮮やかで,童心に返る思いだ。