九州の鉄道黎明期と比較しての感想
(あっちはわりと県同士の連携しっかりしてた)
#kawaiirailroads https://t.co/BZcCrOFI77
【13】
枚方線は開業後も不安定なまま……生駒参拝路線として計画して生駒に行けず、沿線開発もない状態じゃさもありなん。
信貴電はやむなく、信貴山電鉄設立時に持っていた株を手放すことに。
そもそもなんで競合線の免許とるのに協力して株も持ってたの? コスパ悪くない? という部分の答えが……
【10】
京阪/阪奈間は昭和になっても免許申請激戦区でした。
当初は南海が関係していた「畿内電鉄」が優勢でしたが次第に「東大阪電気鉄道」が存在感を表します。
大軌はあんなんペテンや! と考えていましたが、奈良電はそこの株を買って自分の申請が通らなかった時の保険にしたいと思い……
漫画『慎ましやかに煽りゆく』
連作になりそうなならなそうな三重の話を少しずつ上げていきます。
近鉄のこういうところが好きなんですよボカァという話と、某一文字駅ほどではないにしろテリトリー守ってアピってる感じの両社がたまらんという話。
#鉄道擬人化 #KawaiiRailroads
【14】
彼(山口氏)が専務になれなかった時に、当時の社長の「非紳士的な態度に憤慨」したという資料が残っているのも事実。
信貴電(社史)としては、信貴山電鉄株を「共存共栄の実をあげるべきであるとの結論」から保有していたことも事実。
そして、大軌がこういう人事をしたのも事実なんですよねぇ…
【10】
VZは元来夏のみ運行だったため、人員の効率化のため管理は他会社に任せていました。
そしてフルカは破産……延伸中止後すぐこの展開に飛ぶ記事が多い中、現BVZHD公式では沿線に命を吹き込んだと触れてます。やさしい。
【23・了】
というわけで、都市部で強制的な合併が進む中、ゆるーく関急系だったローカル鉄道二社は、ここから60年代までも引き続き独立を貫くこととなりました
(信急は落ち着いた頃に鋼索線のみ復活します、現 西信貴ケーブル。ここもいずれ描きたい……)
ここまでお読みいただき有難うございます💛