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大正7年の米騒動をうけ、東京などの自治体は公設の食堂を各地に設立、安い値段で食事を提供し、米騒動のような社会不安を抑えようとします。
簡易食堂とよばれたこの食堂で提供されていたご飯は、1合5勺の丼飯でした。(社会事業 田子一民著 大正11年)
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日本橋の老舗洋食店たいめいけんの創設者茂出木心護は、昭和54年発行の「うるさい男も黙る洋食の本」において、次のように述べています。
”カレーライスに福神漬、紅しょうががいつごろからつけられるようになったか、店に聞きにこられたかたもいらっしゃいます。”
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例えば檀一雄は、昭和44から46年にかけて連載した檀流クッキングにおいて
”インドでは、日本のカレーライスのように、ラッキョウとか、ベニショウガとか、福神漬とかを薬味にするのではなくて”
と、日本のカレーライスの特徴として紅生姜が薬味であることをあげています。
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昭和3年5月23日から、時事新報の家庭面にレストラン批評記事「食堂巡り」が不定期連載されました。
6月20日、9回目の連載記事で取り上げられたのは、日本橋三越百貨店本店食堂です。
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小説家阪田寛夫は、評伝「わが小林一三―清く正しく美しく」において、次のように書いています。
”阪急百貨店で、五銭の「ソースライス」あるいは「福神漬ライス」が、二十銭のライスカレーと共に有名になった。”
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小説家水上瀧太郎は、昭和8年に大阪梅田にある阪急百貨店を訪問しました。
”私共は八階の方へ行き、ビフステーキ二十錢、米飯に福神漬をそへたのが五錢、冷珈琲五錢、合計三十錢で滿腹した”
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福神漬=チャツネ代用説というデマのもう一つの出どころは、TV番組「謎学の旅」です。もっとも、番組がデマを流したわけではありません。
番組では昭和初期に外国航路の船でコックをしていた丸山久義さんが登場します。
”丸山さんは、福神漬をつけた理由についても興味深い推理をしてくれた。 ”
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でてきたのは日本郵船ではなく酒悦のパンフレットでした。しかしそこには、チャツネを福神漬で代用したという話は出てきません。
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この福神漬=チャツネ代用説というデマの出処は二ケ所あります。一つは、日本郵船の広報。
小菅桂子さんは「カレーライスの誕生」で日本郵船を取材します。
”かつて日本郵船の広報室に問い合わせたところ、確かにきっかけは日本郵船の一等食堂である、との答えを得たことがある。”
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明治屋の社史、明治屋七十三年史、明治屋百年史においても、明治33年の「日の出ソース」国産ウスターソースの元祖であると記載されています。画像は明治屋百年史です。
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その明治18年に、阪神ソースの創設者安井敬七郎は東京の丸善に入社し、インクや洋酒などを製造する丸善の製造部門、工作部を立ち上げました。画像は丸善百年史P273です。
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”ウスターソ ースだけが何故日本に普及したかといふと、それはこの種のソースが持つ、辛味、甘味、酸味、あるひはまた香気だ とか色澤などが米を常食としてある我々日本人の嗜好に最もよく合致したから”(醤油・味噌・アミノ酸/質疑応答木下浅吉著 昭和10年)