こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
木下謙次郎によると、戦前の高級中華料理店では、醤油のみが卓上に置かれていたようです。
ところが大衆的な中華料理店では、焼売にソースやからしをつけて食べていました。これは、日本の中華料理の大衆化が、西洋料理と融合しながら広がっていったからです。明日に続きます。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
木下謙次郎が著した「美味求真」によると、戦前の高級料理店における卓上の調味料は、以下のようなものでした。
西洋料理 塩、酢、ソース、からしなど。
日本料理 調味料は置かない。料理はすでに味付けされている。
支那料理 醤油のみ各自の前に置かれる。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
ちなみに、三越百貨店は昭和5年に御子様洋食を提供したことで「お子様ランチの発明者」を自称していますが、これは事実ではありません。昭和3年の時事新報連載「食堂巡り」において、銀座松坂屋がすでに子供ランチ40銭と御子様ずし20銭を提供しています。
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
かように重要な地ですので、「お好み焼きの戦前史」では神戸を大阪、広島と同等に大きく扱っています。なのに、世間では兵庫や神戸がお好み焼きの本場と認識されないのはなぜ?
こちらのツイートにはセンシティブな表現が含まれている可能性があります。
画像は作家の一瀬直行がエッセイ「懐かしの浅草」で回想した、震災後から昭和のはじめの浅草の大衆食堂の価格。やはり、チキンやハムが高級であったことがわかります。
”先生のところで稽古をした帰りには、毎日判で押したようにその頃本郷座のならびにあった三銭洋食へと、飛びこんだ。何でも三銭、馬蹄型のスタンドがあって、酒も三銭なら、カツもテキも三銭だ。”
民俗学者柳田国男のお好み焼きの解説
”御好み焼などといふ一品料理の眞似事”
は、今までもあちらこちらで引用されてきました。しかし、その意味を理解した者は、誰もいませんでした。
お好み焼きには、なぜ西洋野菜のキャベツや、イギリスの調味料ウスターソースが使われるのか。
”御好み焼などといふ一品料理の眞似事”この柳田国男のいう「一品料理」が、カツレツなどの西洋料理を意味することを理解しなければ、お好み焼きの本質も理解できません。
明治30年代に東京に隆盛したこの洋食屋台が、お好み焼き誕生の鍵を握っています。明日に続きます。
「一品料理」とは、洋服と同じように日本化した洋食の品々、すなわちソースをドボドボかけてご飯と一緒に食べるカツレツなどを意味していました。そしてお好み焼きはカツレツなどの”一品料理の眞似事”として生まれました。