戦前の上田トシコ先生の漫画を発掘。目次に連載したもので、これは『小学四年生』昭和十三年一月号掲載。飛行機が飛んだりするのがかつぢの「ピチ子とチャー公 世界漫遊」から続く感じで結構絵が上手い。ちゃんと弟子らしく活躍していました。
夏目房之介さんが指摘した松本かつぢ「?なぞのクローバー」コマの視線誘導(LACOPEN解釈によるアレンジ版) https://t.co/8sSBp8lZjb
手塚治虫記念館の松本かつぢ展、意外な見どころは戦前のマンガです。手塚治虫の業績を知っている人こそ、戦前に松本かつぢがモダンな少女マンガを描いていたことに注目!『なぞ(?)のクローバー』や『ピチ子とチャー公』の新しさに刮目せよ!
#松本かつぢ展 振り返り10
ぺぺ子とチャー公の夏休(2)
ぺぺ子は昭和9年からピチ子と改名されて、松本かつぢの絶頂期に突入した傑作が、『ピチ子とチャー公 湖畔の一夏』です。
かつぢは戦前の作品でも仲睦まじい男女を描いていて、姉弟設定のピチ子とチャー公でもその設定を最大限に利用しました。
これが、なぞのクローバーが達成したコマ割りのひとつ。
2段目のコマの割り方が他と違う。こういうコマ割りは当時の海外マンガではおそらく想像がつかなかったものです。
物語がコマ割りを駆動するタイプのコマ割りは、日本語が縦書きだったために成立しました。 https://t.co/L9rTVfBjNo
日本のカワイイの元祖に松本かつぢが選ばれているのはうれしいけど、もうちょっと遡って岡本帰一がかわいい。
さべあのま先生の元ネタですね。ちなみに高野文子先生は上田としこ先生を元ネタに。 https://t.co/G5uDO3WXAY
戦前のピチ子とチャー公世界漫遊編は、たしか今回初展示では?昭和11年頃かしら?ミッキーマウスがいる。
これは珍しい一本線のジリジリ線。樹村みのり先生はこれを猫にも使っています。
瞳の描写における瞳孔と虹彩の区別はもっと古い可能性があります。たとえば60年代のちばてつやのこの例だと瞳孔の周りにハイライトと虹彩が描写されているようにも見えます。
80年代から瞳孔が描かれるようになったという論文を読みたいですが、その後瞳孔を描くのが主流になったわけでもないのでは? https://t.co/7b5fYwsr5Q
矢代まさこの女性作家の中でも卓越していたギャグ・コメディのセンスと、シリアスものの萩尾望都に影響を与えた画面処理の例。