バンド名の由来はヨーコのところにあったプラスチック製の安っぽいオーディオシステムのことをジョンがそう呼んでた…となんかで読んだことがあって記憶してたんですが、検索したらいろんな説があるのでびっくり。アンソロジーには彼が描いたプラスチック・オノ・バンドの設計図(?)が載ってます。
その後ビートルズに入る頃にはフォードゾディアックに乗り換え、モーリンとの初デート用にキャバーンに乗ってきたらしいです。後年モーリンは「クリーム色の車でナンバーはNWM466。まだ覚えてるわよ」と言ってました。
ブライアンは、ジョンやポールに対しては「絶対的に信頼を寄せるビジネスパートナー」として、一方リンゴとジョージには「面倒を見なくてはいけない弟や息子」といった家父長的な接し方で世話を焼いていたと思います。4人に対してはひたすら真面目で献身的だったんですよね。
「45回転シングルを4分以上にすると音量がガタ落ちする」というメカニックの抗議の中、様々な試行錯誤の末この壁を突破した経緯がアンソロジーに書かれてます。「無駄に長い後半部」と評論家から言われましたが「やたら長い」ということ自体がこの曲のセールスポイントだったともいえるでしょう。
当時アメリカのヒットシングルのB面などをリバプール中のバンドが早いモン勝ちでカバーしてたそうです。耳の良いジョンやポールたちなら2~3回の試聴でコピーできちゃったんじゃないでしょうかね。
R.I.P.リトル・リチャード。この時の彼のバックバンドにいたのが当時10代の少年だったビリー・プレストン…というのは有名な話ですね。
通称「オドロ線」にはいろんな種類があるんですが、漫画家によってどの線のことを指すのか違いがあるようです。あ、どうでもいい話ですかw
当時アメリカでのリンゴの人気というのは他のメンバーを凌ぐほどで、本当に「リンゴを大統領候補に!」キャンペーンあったそうです。
全部実話といえば実話なんですが。
他にもまだまだあるんですけど、レーティングをZからDくらいに下げて(笑)描くことにします。
67~68年ごろの話でH・デイビスが伝記本に書いてますが、ジョンはフラッとやってきてはリンゴ家のおもちゃで遊ばせてもらっていたそうです。 ちなみにこのゴルフコースのメンバーには二人入ってませんでした。