正確にはハムサンドらしいですが。このハンブルクのエピソードからも、ビートルズが1日12時間以上演奏場に閉じ込められていて、いかに外の世界を知らなかったかということがわかりますね。
デビューした頃「ビートルズの良いところは同性愛などについての冗談を言ったりしないことだ」と新聞に書かれましたが、実際はその手の差別用語やジョークがバンド内ではガンガン飛び交ってました。とはいえここには書けませんが、彼らの言い分というのも30%くらい同情できるところがあるんですよね。
親たちの中で一番バンドに協力的だったのがハリスン夫人。デビュー前彼らが練習してると食事やお茶を用意してあげたりデビュー後はジョージ宛のファンレターに出来る限り返事を書いていました。そして米国に嫁いだお姉さんもデビュー当時ラジオに大量のリクエストを送って積極的に応援してたそうです。
このあとジェーンは長期公演中の仕事先へ、ポールはロンドンの自宅へとそれぞれ戻るわけですが、そこにはフランシーという女の子が待っており(リンダではない)それが元でポール&ジェーンは破局を迎えるのであります。
本当のところヨーコは、ショーンが産まれたあと年齢や仕事の疲れでジョンの要求に応じられないので浮気は公認していたらしいです。有名なメイ・パン以外にも何人もお相手がいたみたいですね。
バンド名の由来はヨーコのところにあったプラスチック製の安っぽいオーディオシステムのことをジョンがそう呼んでた…となんかで読んだことがあって記憶してたんですが、検索したらいろんな説があるのでびっくり。アンソロジーには彼が描いたプラスチック・オノ・バンドの設計図(?)が載ってます。
それで急遽ジャムサンドが作られて出てきたわけですが、お礼にジョージはサインをあげたとのこと。のちのアップル時代にも、アップルスクラッフスの女の子にきゅうりとチーズのサンドイッチを作ってもらったそうです。
H・デイビスの本によると、夜中に曲がかかった途端絶叫して驚いて飛んできた家族に「ここのギターを聴いて!」と大騒ぎしたらしいです。まあ気持ちはわかりますね。
ジョンはタバコ代どころかギターの弦代までシンシアにオンブしていました。まあ、母親がわりに甘えたかったんだろうなと良い方に解釈してますがww