当時アメリカでのリンゴの人気というのは他のメンバーを凌ぐほどで、本当に「リンゴを大統領候補に!」キャンペーンあったそうです。 
   Across The Universeのオリジナル版に入ってる女性バックコーラスはこのスクラッフスの中のラッキーな二人。 
   この時ザック9歳。しっかり見るところは見ています。当時の7000ドルって今だったら2~3万ドルってとこじゃないでしょうか。さすがムーニー。この4年後には死んじゃうんですけども。 
   今では考えられませんが、当時としてはあのハイペースでのレコード制作は普通と思われてたんですよね。まあそれも65年いっぱいまでですが。…とはいえそのハイペースの要求に楽々と応えてたんだからレノン=マッカートニーはやっぱすごい。 
   アラン・オーウェンはウェールズの人でリバプール訛りで台本を書くので有名でしたが、そのせいもあって本当の方言だと思われてたみたいですね。ジョージは彼がひと言「grotty」と言う例のシーンを好きじゃなかったとのちに語ってます。 
   クレインは悪徳マネージャーと言われてますが、超低印税率でビートルズから暴利をむさぼっていたEMIとキャピトルを脅しまともな印税率に上げて4人に莫大な利益を還元したり、リンゴに映画の話を持ってきたり、サムシングをシングルカット曲にして全米1位にしたりと良いこともしてるんですよね。 
   68年7月3日にスタートした「オブラディ」はダラダラとリメイクを繰り返していましたが、5日後ドラッグでフラフラになったジョンがやけくそでひっぱたいたピアノが最終バージョンになりました。別テイクを聴くとポールは最初もっとスローなもろレゲエっぽいのをやりたかったんだというのがわかります。 
   ポールはご存知「ジェイムズ・ポール・マッカートニー」。マッカートニー家では父・曽祖父・そのまた曽々祖父、また彼の息子もジェイムズ、ジェイムズだらけ(笑)ですね。