極力ネタバレを排したため、漠然とした表現ばかりになってしまったが、何かしら感じるところがあったら、ぜひとも読んでいただきたい名作である。
実は最終巻で号泣するのではないかと予測していた。しかしほとんど泣けなかった。肩透かしと言ってもいいほどに。それは現実が感動的なクライマックスを拒否していたから。涙によるカタルシスを許してくれなかったから。代わりに残るものは、「涙を流せないことの呪い」である。
そしてどこまでも「私漫画」に徹することで、本作は逆に強靱な普遍性を帯びてくる。作られた物語ではない、彼女の悔悟に満ちた思いが直球で語られることで、誰の心にもある、そして普段は蓋をしている思いと共振することになる。
だからこの漫画は、つい誤解しがちだが「ユニークな日高先生の姿を描いたもの」ではない。最初に書いたように、これはどこまでも東村アキコという漫画家の「私漫画」である。だから主人公がいない場所での日高先生の行動が三人称で描かれることは一切ない。彼女の完全なる一人称文体だ。
しかしこの漫画の本質は、そこではない。青春ものは青春ものでも、むしろ描かれるのは「青春の愚かさ」であり、「なぜ自分はあの時そうしなかったのか/できなかったのか」という後悔の念。総じて言うなら、この漫画全編を覆っているテーマは「喪失」である。
1巻から2巻あたりまでは明るい青春もので、美大受験生のあれこれがコメディタッチで描かれる。周りに美大出身者や美大生が比較的多い私には、彼らの実態を知る上でいろいろと勉強になる部分が多かった( ̄ー ̄)ニヤリ
なお本作の主な舞台は「宮崎」である。宮崎で日高と言えば…FUKAIPRODUCE羽衣の日髙啓介!( ゚д゚) え? まさか親戚だったりしない!?(;゚д゚)と思ったが、名前は若干の脚色があり、本物の先生は「日岡兼三」というそうだ。これが実際の日岡先生の絵。
簡単に言えば東村アキコという漫画家が、若き日に出会った型破りな絵画教師 日高先生との思い出を綴った「私漫画」である。学校ではなく個人の絵画教室だが、体育会系スパルタ式の、今ならさすがにありえないだろうという、とんでもない先生だ。
SPACの『守銭奴』は11月27日(日)を予約した。何か一緒に兼ねられる静岡のイベントは無いかな。どうせ年末に墓参りに行くから、その日に行っても仕方ないし…