たとえば遊園地のシーンなどは一番分かりやすい。このシーンを映画と見比べてみれば、同じシーンでも、漫画と映画で肌触りがまったく違うものになっているのが分かるはずだ。映画はあるゆるものが映り込んでしまうし、撮影の現実的な条件もあって、この漫画のような表現にはなかなかならないのだ。
原作も台詞はかなり多く、喋るシーンは非常に饒舌だ。しかし全てのシーンにおいて、映画のように余計なものが映らない。背景がかなり描き込まれていても、それはあくまでも背景。常に描くべきものにスポットが当たっていて、余計なノイズがなく、静謐な空気が終始漂っている。
その惰性で話を続ける後半も、ドラマを盛り上げるのは、結局迫害を加えられる人々の残酷な死に方などで、それが史実と違う(そのくせ史実であるかのような誤解を招く)ことにモヤモヤした。
『メタモルフォーゼの縁側』を買ったのに、何をどう間違えたのか、それを読む前に『銭ゲバ』を全部読み返して、勝手に荒んだ気持ちになっているコロナ下の俺…(´・ω・`)
歴史考証は、分かった上で意図的に改変している部分が多いので、極めてよく似た別バースの物語くらいに捉えた方がいい(だからキリスト教ではなく「C教」になっているw)。かなりのご都合主義もあるし、「絵の付いた小説」のような台詞優先の作りは漫画的にどうなんだという部分はある。