#関谷ひさし 展 第6章は、1970〜90年代の原画で構成。
少年月刊誌の黄金時代以降、一線から退いたとされがちな関谷ですが、描画力はむしろ研ぎ澄まされ、洒脱な大人マンガも手がけるなど、量こそ少ないものの、幅広く活躍を続けていたのです。
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一連のエピソードの締めくくりの回が複数ページになった時、2ページを1投稿にまとめるのと、2投稿に分けて時間差で投稿するのとでは、語り口としてやはり別物で。
リアルタイムでぜひとも追うべき作品であるし、単行本には収録されない、投稿のタイムスタンプ込みで保存しなくてはとつくづく思う。 https://t.co/xXq8RhzC64
#関谷ひさし 展 第4章「月刊誌時代のスポーツマンガ」。
従来の丸っこいユーモアマンガと、シャープな関谷作品を比較。関谷が後代に与えた影響を可視化したかったのですが、力及ばず。読める単行本を置く手法も今は難しく...。宿題とさせて下さい。
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ゆうきまさみ先生のコメントにちなみ、#関谷ひさし 展の展示原画から、漫画絵の「ケンカ泰平」(『COM』 1969年1月号)と、劇画絵の「つき」(同10月号)を。昭和30年代の印象が強い作家ですが、69年の時点でこの画力とこの幅広さであったのです。
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#北九州市漫画ミュージアム で寄託収蔵する #関谷ひさし 原画は約1万6千点。未単行本化作品が大半で、書誌不明なものも多い。この原画も欄外の書き込みから『少年少女新聞』掲載の「スポーツ王くん」としか分からず、年代は絵柄から60年代後半と推定。今後も根気よく調査。
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光栄にも近しくさせていただくご縁があったので、ご本人のご恩や想い出が多く、ライフワーク「風雲児たち」の未完になかなか意識が向かない。
思い起こされるのは幕末編28巻、寺田屋事件前夜。幕府滅亡への道筋をしかと見て取った西郷は、倒幕は必然だがその過程の犠牲の多寡は大久保の智略次第、と。
#関谷ひさし 展、8/19水からの後期展示の前に、前期のみの作品をお届け。「愛犬ボロー」(『デラックス少年サンデー』1970年1月号)。コマごとに変わる背景の色彩が、コロコロと動く少年の豊かな表情のようで、実に細やかで愛らしい。
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会期残りわずかとなった #関谷ひさし 展。まだまだ紹介し足りません!
「ユリは山の子」(『りぼん』1965年)原画。3枚目は前期展示分。
”少女マンガ特有の悲劇を描くのは苦手”と後に述懐している関谷。溌剌たる扉絵にこそ本領があるのかも。
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#ムロタニ・ツネ象 原画お披露目展その3。新聞連載の「SF劇画」シリーズより「スペースマン」(毎日中学生新聞1967-69頃)。作家が手元に保存していた原紙切り抜きも貴重。作画スタッフに、後の艶話漫画家で甥っ子の成田アキラ氏の名前が。
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新聞マンガから出発して、月刊誌時代から週刊誌時代にかけて多数の連載を持ち、ギャグにホラーにと幅広く活躍したムロタニ・ツネ象。加えて、学習マンガにおいては草分けとして世代を超えて読み継がれています。
多面的な作家性と歴史的意義をたっぷり語る10/10月祝のイベント、ネット配信無料です! https://t.co/juYeGF34FJ
#ムロタニ・ツネ象 原画お披露目展(6)
多くの子供達に歴史への関心を喚起した、人物伝形式の歴史学習漫画より、聖徳太子(1978)と伊達政宗(1986)。その生涯を印象的な挿話で一冊にぎゅっと詰め込む構成力と、ひと目で印象に残る表紙画の存在感よ。
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柔らかな色味が持ち味の関谷ひさしには珍しくビビッドな「モーレツ!コーチ」(『中二時代』1969年/推定)。
別冊付録のポケット文庫に掲載されたようなので、小さい判型でも強い印象を残すための工夫なのかも知れませんね。
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