星野:「日本のいちばん長い日」で縦長コマのヒトラーを描いたのも「グレンスミスの日記」の影響です。
漫画のたった一コマでも、それが何年も記憶に残ることがある、だから漫画は「先生」だと思います。
萩尾:小学校の頃に読んだ漫画のシーンとか良く憶えています、強烈ですよね
星野:時間の流れを表現するのに馬車が有効だと感じて、自分が描いた「月夢」でも、時間の流れを車で―大八車ですが―表現しました(写真①)
それから「グレンスミスの日記」での海のシーン(写真②)がとても印象に残っていて、小さいコマですが北方の冬の冷たい海を線で表現しています
星野:急に動き出すシーンと静寂の交錯(写真①②)こういう展開が印象に残っています。この「布を…」のシーン(写真③)が凄く好きで、騒ぐでもなくそれでいて深刻な事態を伝えている、これは真似できませんでした。畳み掛けるように一家が滅ぶシーン(写真④)も上手いし引き込まれましたね
真崎:それで「ダンさんならすぐその日から仕事になるけれど、うるさい面接官が一人いて、それさえ大丈夫なら手塚先生の方はスルーだと思いますよ」って言ったんです。それでものすごく不安そうに「その面接官って怖いのか」って言うんで「自分です」って言ったら怒られちゃいました(笑)
村生ミオ先生を初めて知ったのは、少年ジャンプのカバゴン先生のコーナーに1977年~79年頃に描いていたコマ漫画「ジャンプマン」(その前、1972~76年は宮のぶなお先生)
それだけに(?)1981年に少年マガジンで始まった「胸さわぎの放課後」以降の大変身&大活躍にはビックリしたものでした。
合掌。
#お前らの好きな最終回晒せ
ジョージ秋山先生の「ザ・ムーン」
雑誌連載時に読んで、その絶望的なラストと終末感が心に強く刻まれました
喜国雅彦先生の
この作品を思い出してしまいました。 https://t.co/JjJsK2Rkgn
「海辺のカイン」Ⅲ章、雑誌掲載時276頁上段大ゴマの4つの台詞
「でも、おかあさんは、そういうことを~」
「自分の子どもだからいえたんです」「自分がどうにでもできる~」
「わたしは彼女を憎みます」
単行本収録時には、これらの間に大量の言葉を追加し、半頁⇒3頁に拡げています
#樹村みのり
Ⅲ章の終盤、展子の魂が救済される場面の描直しも興味深い
「私は彼女の子どもだった」という科白以前に「彼女はわたしの母親」という擁護の言葉を加え
「見送りの時に母親が泣いていた」というエピソードを「母親も自分と同じ慌て者」に変えて「私は彼女の子どもだった」に繋げる構成に
#樹村みのり
そのシーンがある「海辺のカイン」Ⅲ章は、雑誌掲載時→単行本収録時の改変が特に激しく、台詞や絵が随所で変わっています
本作は(想像で勝手に言わせて貰いますが)「早すぎたLGBT作品」とも言うべき野心作&新境地ゆえ、作者も推敲を重ね、試行錯誤されたと言うことありましょうか
#樹村みのり