#子供の日なので子供が主役の作品を貼っていく
永井豪先生の「ススムちゃん大ショック」
週刊少年マガジン1971年3月7日号
3月24日は
大島やすいち先生の誕生日です
当時17歳のデビュー作「青春の土」
週刊少年サンデー1971年6月6日号、32ページ
既に沼田清先生のアシスタントを務めていたとは言え、高校生とは思えない完成度です
#ぱふの時代を語る
ぱふまんが倶楽部
永島慎二御大の扉絵(1979年4月号~7月号の4回だけでしたが)
当初は選者(評者)として石森史郎・斎藤次郎・峠あかね(真崎守)等の名前もありましたが程なく消滅(編集部のみに変わった?)
写真は、谷口敬、高寺彰彦、福谷たかし諸先生の投稿作品
芳崎:その姿勢は終始一貫しており自分の過去の作品を否定していません。それを描かずにはいられない作家としての本質に感銘を受けます。
三原先生が最後まで前向きだったのは「はみだしっ子」ラストのクークーのエピソードと重なります。既にこの世にいないクークーのメッセージが時間差で帰って来る
今日、6月13日は
剣豪・宮本武蔵の忌日です(1645年)
パンチ偉人伝5「合理主義の殺し屋・宮本武蔵」
文:佐野美津男、コマストレーション:真崎守
平凡パンチ1971年2月22日号
#真崎守
吾妻ひでお先生が板井れんたろう先生のアシスタントをしていたことは広く知られていますが
板井先生が1970年夏に少年チャンピオンに短期連載した「グンバツ野郎」に、吾妻先生らしきキャラ発見
ちなみに吾妻先生は、同年春の「二日酔いダンディー」連載を機に独立されたと言われています
単行本化に伴う改変
手塚治虫「海のトリトン」
ポセイドンがウミワタに産ませた怪物の名前について、彼は名付けしませんでしたが、トリトンから訊かれた時にくしゃみをし、その音をトリトンが名前と勘違いします
新聞掲載時は「ブヮーグショ」でしたが、単行本化の際に「ゴーブ」に変わりました
昔落札したジャンク品の束を眺めていたら
少年ジャンプに描いたコント55号やザ・ドリフターズの漫画で有名な榎本有也先生の作品が…
(カゴ直利先生の「忍術百々地三太夫」6月10日発売とか、八月号別冊付録に続く、等の)枠外情報から判断して「おもしろブック」1959年7月号からの切り取りらしい