味方の多くが討たれる中、結城弥平次が奮闘していると、彼の兜に「JESUS」とあるのを認めた敵将の三木判太夫が、戦闘を止め、自らの虎皮の衣を弥平次に着せてさらに馬に乗せて健闘を称え、友誼を深めたという(フロイス『日本史』第一部七八章)。
松平不昧も、管槍(一指流)が得意だったとか。イラストよりももっと遠くに繰り出すみたいだ。本身でこれやられたら手強そう。
【和田合戦】義盛は愛息義直の戦死の報を受け忽ち戦意を喪失、慟哭している所を討ち取られた(吾妻鏡、建暦三年五月条)。この戦いの間、毘沙門天が義盛のために矢を受けたり拾ったりして助けたという「箭請(やうけ)毘沙門天」の伝承が、慶派の作による毘沙門天像が安置する清雲寺に伝わっている。