【海野幸氏】北条時頼が初めて流鏑馬を披露するに及び、幸氏が指南した。その際西行が語った極意を紹介すると、下河辺行平や愛甲季隆といった弓達者がしきりに感心したという。この頃の彼らは結構老齢だったはずなので、弓談義に花が咲いたのではないかと思う(『吾妻鏡』嘉禎三年7月19日条)。
【一番槍】吉良上野介邸を襲った赤穂浪士は、物置に潜む上野介を発見、間十次郎が討った。この功のためか、十次郎は泉岳寺の主君の墓前で最初に焼香をあげたという。浪士の出立は揃いでなく自弁だったが、火消風にするよう指示により皆似通った格好で、槍は柄を短くしていたらしい(江赤見聞記)。
松平不昧も、管槍(一指流)が得意だったとか。イラストよりももっと遠くに繰り出すみたいだ。本身でこれやられたら手強そう。